新年あけましておめでとうございます。

旧年中のご訪問ありがとうございます。皆様方も素晴らしい新年をお迎えになられたこととお慶び申し上げます。本年も相変わりませずお訪ねください。よろしくお願いいたします。
先ほど「平成27年度・越年・108煩悩消滅・お礼護摩供」並びに「平成28年・迎年護摩供」を終え、皆さんと新年の挨拶を交わし、お節をご一緒にいただき、今静かになりました、一人新玉の神々をお迎えするため年越しをしております。
朝は昨年までと同じようにお勤めをします。同じではありますが、気持ちは新たです。毎年元旦の朝に書いています「相変わりませず」という言葉を交わすことが好きです。繰り返しがなければ成長進化がありません、そして「自分への戒めの言葉でもあります」。
我欲で、自分の思いだけで人様とおつき合いをせず「共に」という思いです。人間関係が駄目になる、おつき合いが終わってしまうことの原因の一つ「我欲、自分勝手な思い」が原因です。いわゆる「欲張って駄目にする」のです。
相変わらずにおつき合いをいただいているからこそ様々な恩恵、気づきがもたらされるという感謝です。過不足無くおつき合いできることが、着実に己を養うことができます。無理なく成長もできるのです。
そのための大きな方法が習慣、繰り返しの法則を大切にすることです。昨日の大晦日の午後11時半から乙未(きのとひつじ)の一年の感謝の祈りであります「越年・護摩供」を厳修、引き続き「新玉の神々をお迎えします」感謝の「迎年護摩供」を修しました。そして通夜を行い(一晩中寝ないこと)、「新玉の神々をお迎えさせていただく」のです。これが一年の最後、一年の最初の習慣。終始を確かにすることです。終わりを確かにしなければ、始まることもできないのです。
一年のお礼を申しあげて終わるのではなく、新たな一年のご守護をいただきます新玉の神々を寝てて待っているようではいけないと師に教え導かれ、19才以来今日まで大晦日から元朝まで、変わらずにこの習慣を確かにしています。
神々は眼にすることはできません、眼にすることはできませんが、確かおられます。「信仰とは、我々の目に見えないものを信ずることであり、そして、信仰のもたらす報酬は我々が信ずるものを目で見る」ということでもあるのです。だからこそ「お陰様」という言葉もあります。そして、万物を育み成長させて「眼前に表してくださる」のです。
世の中のことは、「目に見える部分と目に見えない部分とがある」のです。不思議という文字は、「思議することができない」つまり、「分別知」を超えたことです。この「不思議の事実こそが霊性界の厳然たる事実」であります。それこそがかえって「確固たる真実の世界を示している」ともいえます。
私たちが大きな性命のご縁で母の胎内に宿り、眼に見えない精子卵子の摩訶不思議な性命の和合によって、子宮(しきゆう)(古人は何と素晴らしい名をつけたのでしょう)の中で育てられます。子宮内では「何万倍の成長があるのです」、しかし生まれ出た後は「5倍から6,7倍」です。私たちが眼にすることのできない時に於いて性命は大きな成長進化があるのです。
このことを知った先人は、「眼にすることにできない神々の偉大な力を畏れ敬ったのです」これこそ人としての「真情」です。眼にすることしか信じないというのであれば、そこで人生は終わるといってもいいのです。
どうぞ、一年「相変わらずにおつき合いをさせていただきましょう」。そうすることが丙申(ひのえさる)の今年の大いなる繁栄がもたらされます。
素晴らしい一年でありますことを信じ、本年も日々祈り変わらない一年を習慣としてまいります。
今年皆様とご一緒の素晴らしい習慣の始まりが明日2日です。心華寺・初「月例・幸福開運護摩祈願祭」。「心の子宮が金港辯財天本堂」です。子宮である本堂での祈りを真剣に行えば、現実化されたときは「思いの何倍にも何十倍にもなる」のです。
午前10時から「共に祈り合い(愛)ましょう」「人様への思いやり、人様の繁栄無くして自身の繁栄はあり得ません」。
ご家族様のご安泰、会社のご安泰、社員皆々様のご安泰を心より共に祈念致しましょう。今年は偉大な習慣を一層のものとできるお家、会社の方々が繁栄致します。
法要後は健康長寿の「お節のご接待」を用意しております。ご家族ご一緒に心身健康になりましょう。そして「初夢コンサート」があります。梅谷忠洋先生のフルート、梅谷裕子さんの女神の歌声をお聞きしましょう。ご一緒に「1月1日」を合唱し、魂の世界のハーモニーを奏で歓びを分かち合いましょう。
本年もどうぞよろしくお訪ねいただきますよう。素晴らしい一年でありますことをお祈り致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
迎年護摩供を終え、皆様とご一緒に「お節をいただき、新年の挨拶を交わしました。」。