その人を思う

おはようございます。

今朝は宇治では小雨ですが、東京の方は積雪があるようで、通勤や通学での支障がなければいいのですが、お気をつけ下さい。一昨日から昨日まで「センター試験」でした。大学を目指す人の「関門」。
人生はいろいろな関門、関所を超えてこそ豊かな人間性が培われていきます。生涯何度も何度も関門、関所があります。試験は「無機質で客観的世界」ですから、努力すれば必ず関門は乗り越えられます。だからこそ今年残念な結果だったとしてもチャレンジすべきでしょう、乗り越えるという自分を作るべきだからです。その精神からは素晴らしいものが得られます。
心華寺・金港辯財天様は「学問・諸芸成就の神」様ですので、おまいりいただきますとご利益がありますよ。これから受験だというご家族の皆さん是非おまいりください。
昨日は「阪神淡路大震災から21年」でした。改めて犠牲者の皆様のご冥福をお祈り致します。そして長い年月が経っても忘れることができません。忘れられないということは、「忘れてはいけない」ということなのでしょう。大切な人を忘れて良いという道理はないのです。大切な人であればあるほど「時が経てば鮮明な思い出となる」のです。
日々祈りを続けていますと、悲しさ、悔しさが、いつしか故人との懐かしい思い出となることも事実です。美しい思い出となっても、悲しさはなくなりませんが、その「人を思う思いが一番の供養」なのです。そのような思いで日々回向供養を行っています。ご冥福をお祈り致します。
人情の中で一番強いのが「死」に対したときです。身内、友人、知人、お世話になった方々等々が亡くなられたとき、「突き上げてくる悲しさはどこからわいてくるのでしょう?わかりません」。孔子は「人が感情の限りを出し尽くすことは滅多にない。あるとすれば、親の死くらいだろう」と述べています。
親の死に限らず、悲しいという感情の堰が切れた状態になるのは「大切な人の死」です。そして「心から涙を流す」ということが「死によって気づかされる」のです。私たちは「人の死によって、生の大事を知るのです」。
日常の中でもいろいろ悲しいこと、苦しいことがありますが、これは、ある意味コントロールできます。しかし大切な人の死に遭いますと「感情のコントロールができないのが人でもあるのです」。哀しむべき時は悲しむことが大事なのです。
そのことを確かにして一月後半確かな「生」を歩みましょう。精一杯今日も過ごしましょう。素晴らしい一週間でありますことをお祈り致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌