交際の道

おはようございます。

車のフロントガラスが今朝は凍てついていました、冷たい朝です。体調管理をしっかりとしましょう。
各地で「にんげん学」講座を行っています。その理由は「経世済民(けいせいさいみん。世を治め,民の苦しみを救うこと。)」「修己治人(しゅうこちじん。己を修められる者が、人を治められる)」であることは間違いがありません。こんな俗諺があります「若くしては老人と交わり、老いては青年と交われ」。
若い皆さんは、ともしますと、「老境に入った方の哲学や、にんげん学は卑俗(ひぞく)であり、俗流化していて、時代に合わず魅力がない」と考え、敬遠しがちですが、しかし老境に入った人たちの「一言一句は風雪に耐え抜いた人間のみがもっている経験の重みがある」のです。それ故に「若い人達が老境の人たちの言葉に心を虚しくして耳を傾け、ともすると世に流されがちな自己の人生観に重厚さを加えることは、人間形成の上からいっても、欠くべからざる重要なポイントとなる」のです。
一方私のような年老いた(自分では年だとは思っていませんが?)人たちは、「青年とのギャップを埋めるために、話しを聴くという大きな心で若い人の話しを聴くことが大切」です。二宮尊徳翁が、このような興味深い話しをしています。
「交際の道は、碁、将棋の道をのっとるをよしとす。それ将棋の道は強きもの、駒をおとして、先の人の力に相応ずる程にしてさすなり。甚だしき違いにいたっては、腹金とか、歩三歩というまで外すなり。これ交際上、必要の理なり。
おのれ富み、かつ才芸あり、学問あって、先の人貧なれば富を外すべし。無芸ならば芸を外すべし。不学ならば、学を外すべし。これ、将棋をさすの法なり。かくの如くせざれば交際はできぬなり。」
いかがです。先人の経験・体験から生まれた学と人を育てる情愛、なんと凄いものなのでしょう。人間学そのものを生きたのです。各地で皆さんとご一緒いただく気持ちの中にこのような思いも強くあります。
親子間、会社内でもこのような在り方をなされば断絶などもなく、家庭・会社・社会の中でもギャップも少なくなると考えています。新年一月も後半に入ります。年令を超え若い人も、老境に入った方も修練を続けましょう。豊かな心で休日をお過ごしください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌