古希

おはようございます。

昨日は私の69才の誕生日でした。沢山の方々よりお祝いのメッセージをいただきありがとうございます。数えでいいますと70才、古希(こき)です。古希という言葉の出典は、杜甫(とほ)の詩「曲江(きょくこう)」です、書いて見ます。          
「朝(ちょう)より回(かへ)りて日日春衣(ひびしゅんい)を典(てん)し、
毎日 江頭(こうとう)に酔ひを尽くして帰る。
酒債(しゅさい)は尋常、行(ゆ)く処(ところ)に有り。
人生七十 古来稀なり。
花を穿(うが)つ蛺蝶(きょうちょう)は深深(しんしん)として見え、
水に点ずる蜻蜓(せいてい)は款款(かんかん)として飛ぶ。
伝語(でんご)す 風光、共に流転して、
暫時 相(あい)賞して 相違(あいたが)ふこと莫(なか)れ、と。」
意訳しますと。
「朝廷から戻ってくると、毎日のように春着を質に入れ、
いつも、曲江のほとりで泥酔して帰るのである。
酒代の借金は普通のことで、行く先々にある。
この人生、七十まで長生きすることは滅多にないのだから、
今のうちにせいぜい楽しんでおきたいのだ。
花の間を縫って飛びながら蜜を吸うアゲハチョウは、奥のほうに見え、
水面に軽く尾を叩いているトンボは、ゆるやかに飛んでいる。
私は自然に対して言づてしたい、
「そなたも私とともに流れて行くのだから、ほんの暫くの間でもいいから、
お互いに愛で合って、そむくことのないようにしようではないか」と。」
いかがです?杜甫47才の句です。いまでもこのような心境にはなれていません、47のときなどは、いよいよこのような気持ちはほど遠い。しかし、この詩を読みますと、私も自然とそして人と愛で合いたいという気持ちは痛いほど分かります。
この詩の最後の二句には、いくつかの解釈があるようです。上の「通釈」では、「私は自然に対して言づてしたい、そなたも私とともに流れて行くのだから、ほんの暫くの間でもいいから、お互いに愛(め)で合って、(お互いに)そむくことのないようにしようではないか」としましたが、これを、
「自分はこの風光にことづてをする、私は汝風光と共にここに徘徊して、しばしその眺めをめでるから、汝は自分にそむかぬようにしてもらいたい」とする人もいます。
杜甫は自然を相手に、人に話しかけていたのでしょう。杜甫の一生は不遇とされていますが、素晴らしい詩を多く遺しています、地位や財は不遇であったかもしれませんが心中は豊であったであろうと察せられます。
人生いろいろな事があります。人恋しくて嘆くときもあるでしょう、涙するときもあるでしょう。怒るときもあるでしょう。しかし心の艶は失いたくないありません。心に潤いを無くしてしまったのでは人生それこそ孤独で寂しい人生となります。苦しいからこそ、人を恨まず、嫉まず、豊に自然と語り合い、自分を慰めたいものです。
今日は自然と対話をして人様の素晴らしさ、有り難さを感じてはいかがでしょう?。素晴らしい一日でありますよう。
 
世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌