加持

おはようございます。
「知りて知らざるは上なり」とは老子の教え。これは、知りながらしない、行動しないということではなく、「知ったかぶりをするな」「できる振りをするな」「口先だけの人間になるな」ということであり、「反感を買うだけだ」というのです。そして「信頼を失う」「信頼を得られない」ことになる。言葉を換えれば行動する前に「構えるな」ということです。
知りながらしないというのは「ただの怠け者」、このような生き方は「自分を駄目にし」「周りを不幸にします」。
私は皆さんがご存知のように仏の道を歩んでいます。密教の行者として、だからこそ昨日も博多まで祈祷に行きました。しかし私は自ら努力をしない方への加持祈祷は引き受けません。加持祈祷の力はとてつもなく強いからです。
祈る心もなく、自ら努力することもしない人にご利益だけを与えてしまいますと、後の人生に不幸を与えてしまうことになるからです。
御仏の慈悲、お力は広大無辺、大きな慈悲をお持ちです。祈る者には必ずお力、ご利益をお与えになるのです。ですから一時の結果だけを望む者にもご利益を与えるのです。そして「努力をしないというご利益も与えるのです」そして「滅びの道を与える」のです。
経典に「右に傾いている木は必ず右に倒れる」と、自然の摂理そのままに説いています。
密教の加持祈祷は何も神秘摩訶不思議な法を行っているわけではありません。ただ「先徳(先人の密教行者)の少しだけ未来が見え、大きな徳を具え磨き上げた徳の高い行者が法を体得、法に素直に随い生涯とした法を遺して下されたのが現在の加持祈祷法」です。
それにただただ無心に私は行者として随っているのです。先人も私も我欲で行じるのではなく、「法そのもののもたらす結果の偉大さに生き歩んでいるのです」。
昨日博多のMさんが新居のお祓いをということで日帰りで行ってまいりました。わざわざ宇治の小坊主を招き加持祈祷を依頼下される方は、我欲ではなく、会社を経営されておられますので、家族、社員、社会の多くの方々のため円満継続を願ってのことです。
しかし、この世は「因縁所生の法」であることを教えに依って先様は知り、「縁は如何ともし難い事があることも知り、天地神明への感謝の祈りを捧げ、その加護をお願いされたのです」。
「自助努力ではどうすることも出来ない事のあることを知り」、謙虚な姿勢となり「人生に仕事に天地神明、皆様のお力を魔事なくお借りできることを謝し、お祈りを捧げるのが、新居での加持祈祷のお祓い」なのです。
このような謙虚な姿勢であることによって「お陰の力(周囲の多くのお力)」をお借りでき、与えられ安泰、円満継続への道となるのです。
今日は節分、一年の節目の日です。午後3時より心華寺で「節分会・日数般若心経読誦法要」、般若心経を一年365巻を読誦する法要を厳修します。是非ご一緒に読誦しましょう。陰力と陽力では「陰の力が強大です」その「陰の力に感謝し、陽の力を増す法要」です。
自ら法力を信じ行動する者に、大きな力をお与えになります。午後3時前に心華寺金港辯財天本堂にお集まりください。
今日も皆様の一日が輝ける一日でありますようお祈り致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌