人として

おはようごいざいます。

「にんげん学」東京講座ご出席の皆さんありがとうございます。一昨日梅谷忠洋先生の新著記念講演会で祝辞を述べさせていただきましたが、その中で「師友」を持つことは人生に於いてとても重要なことですとお話しさせていただきました。
教えを乞う師、又師と思えるほどに尊敬できる友人が師友です。どのような人からでも私たちは学ぶことができます。また、どのような人からも学ぶ気持ちがないというのは、慢心しているといっていいでしょう。自分の価値観で認めた人でなければ認めないというような人間は人間的に魅力がありませんし、孔子のいう「器、機械、道具になってしまっている」のです。
そのようでは大人の使命の一つであります、若い方々を育てることもできませんし、いわゆる対応力がなくなってしまっている、これでは社会的に通用しません。
来月の東京講座は3月11日(金)となっております。来月もお元気にお目にかかりましょう。
昨日学びました。論語、子張第19、1条「子張曰(しちょういわ)く、士は危(あや)うきを見ては命(めい)を致す。得るを見ては義を思う。祭りには敬を思う。喪(も)には哀(あい)を思う。其(そ)れ可(か)なるのみ。」
意は「子張いう、もし士たる者が、身の危険に直面してたじろぐことなく、潔く一身を投げ出すことが出来、利得を眼前に見てそれを得ることが正しい道筋に叶っているかどうかに思いを致し、又日常生活において、祭祀を奉ずる場合には崇敬の念を尽くすように心がけ、喪に当たって悲哀の情を尽くすように心がけるならば、まず立派な士といって差し支えないであろう。」。
士、リーダー、大人としての「心構え」と「心掛け」の話です。普段にどのように己を修養することが大事かです。「前半の危うきを見てはと、得ることを見てはの二つは、危険に臨んだ場合、利得に際会した場合の特殊の出来事に処する態度であり」ます。
リーダーは何か危険なことがあれば、真っ先に自分が率先垂範して行動することがリーダー、大人の使命だからです。政治家や身近な世界で見聞きすることですが、利得、利益を得るときに、この利をいただいても義に反しないかどうか?を、確かにできる目を普段に養っていなければ、大きな落とし穴にはまり、人生を終わらせてしまうのです。
利もいろいろな利があります。お金ばかりで無く、地位、酒食、様々です。接待を受けて良いのかどうかの判断一つで勤めを全うできないケースとなることも多いのです。
後半の「祭りと喪とは身近な日常生活における心がけを述べたもので」あります。「敬を思う」、「哀を思うの「思」は、「敬・哀を失わないことを心がけること」です。ともしますと、身近な生活の中で「親しき仲にも礼儀あることを忘れてしまうから」です。
前の「義を思うの「思」は、思いを「翻して義に思い至ること」「今この利を得ることは義に叶っているか否か」であり、若干その意に相違があります。
なおこの章の言葉は、「子路(しろ)が成人を問うたのに対して」孔子が答えた、「利を見ては義を思い、危うきを見ては命を授け」の言葉(憲問(けんもん))などと相出入していますので、重ねて読んで見ればまた確かに理解でます。
この条は日常の中で何も特別な事柄ではなく、仕事や暮らしの中で起こりうる事柄ばかり。今日は生活の中で率先して難に立ち向かっているかどうか?、利を目の当たりにしてどんな思いか?、当然だと慢心したような気持ちではなく、あぁ、こんなにいただいていいのだろうかという思いを致しておるかどうか?です。
人に対したとき敬の思いを大事にしているか?、喪に望み心から哀悼の意を以て対しているか?、週末でもあります。じっくりと一週間を反省して明日からの糧としてください。心豊かな一日でありますよう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
皆さんにいただきました、ありがとうございます。

Mさん毎月ありがとうございます。

懇親会です。そして毎月お世話くださるNさんとわたしの誕生会を合わせて行ってくださいました。皆さんありがとうございます。