目先の楽

おはようございます。

昨日の夕方に下山しました日本板硝子・NJC会「平成28年度入社・新入社員研修」30名の皆様二泊三日お疲れ様でした。入山された日は嵐、昨日は暖かで穏やかな日、皆様に何か天が暗示をしたようです。荒れた日は長く続かず、精進すれば必ず晴れますよ、と教えてくだされたようです。三日間ありがとうございます。
心華寺の山門を一歩出たときから実践であるということをお忘れありませんように、実践出来ないと云う事は「人としての成果を出せないということになります」。ご用心ください。お元気にご活躍くださいますよう。
私も誠澄も皆様にお話しさせていただいた人間として恥じないようにこれからも精進致します。ありがとうございます。
韓非子(かんぴし)」に「小利を顧(かえり)みるは則ち大利の残(ざん)なり」「目前(めさき)の利の代償は高い」という話しがあります。
何故「韓非子」がこのようなことを書いたのかと言いますと。中国の紀元前の話しです。
「晋が虢(かく)を攻略(こうりゃく)したときのことである。虢に攻め入るには、虢の隣国、虞(ぐ)を通過しなければならない。そこで晋王(しんおう)は、貴重な駿馬(しゅんめ)と玉(ぎよく)を虞公(ぐこう)に贈って虞の国内を通過する許可を求める。虞の重臣たちは、「もし、虞ともちつもたれつの関係にある虢が滅びれば、虞も同様の運命を歩むことになるだろう。晋の贈り物は受け取るべきでない」と虞公(ぐこう)に進言するが、駿馬と玉に目がくらんだ虞公は聞く耳を持たず、晋軍の通過を許してしまう。おかげで晋はたやすく虢を攻略する。だが、それからわずか三年後に、虞もまた晋によって滅ぼされてしまう」。
虞公は、駿馬と玉という目先の利益にとらわれて国を失ってしまった。彼が支払った代償はあまりに高くついたようだ。「韓非子」はこの例から、「目先の利益にとらわれると、大きな利益を失ってしまう」と説いたのです。
しかし、誰でも、虞公のような立場に立たされれば、ついつい大局を見失ってしまうものです。目の前においしいニンジンをちらつかされると、それに目を奪われてつい走らされてしまうのは、なにも馬ばかりではないのです。
目先の利を「楽と言い替えれば、目先の楽を追い求めるな」ということです。新人の皆様は、多くの新しいことにチャレンジします。辛くしんどいと感じることが多いかも知れません。そこで、「目先の楽に走り、逃げる人生とするな」ということです。
一度楽をしてしまいますと、夢をまた新たにしたとしても、同じ過ちを繰り返すのです。新人のときだからこそ、目先の楽に惑わないようにすべきなのです。スポーツ選手の騒動は、新人の時に、先輩に「水を向けられての失態」です。すべて「目先の欲、楽の為せる業(わざ)」。利益とは「様々な利がある」ことを知りましょう。一生を素晴らしい舞台に昇らせる正しい利もあれば、奈落の底に落とす利もあるのです。
それを確かにするには「道理を学び、道理に沿って歩み、体に感じる窮屈さが素晴らしい舞台へ登る、登竜門であることを思い楽しく歩む」ことです。良い休日をお過ごしください。
今日、午前10時から心華寺「水子供養祭」法要です。おまいりください。桜の花もお待ちしています。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
昨日の観音様の桜の光背です。

花の間の若葉が輝いています。


研修最後のカリキュラム茶礼「一期一会の世界」を味わっていただきました。皆さん一度の出会いを疎かにしませんように。

記念写真です。

各班で皆さんが皆さんに宣誓をしていただきました。






花は桜ばかりではありません、下も見てくださいと小さい花さんが呼んでいました。




昨日研修が一段落しましたので、少し早く帰りましたので久しぶりに夕日を撮りました。