勢いで行わない

おはようございます。

熊本大地震が広がって大変なことになっています。お見舞い申しあげます。一日も早く沈静化するように祈ります。亡くなられた方が増え言葉もありません。9万人を超える多くの皆さんが避難所生活を余儀なくされ心が痛みます。皆さん九州地区に向かい祈りましょう。そして支援をしましょう。
今日は休日です、ゆっくりされておられます方は少しの時間被災者の方の苦労を思いましょう。このような気持ち、気の波動を送ることも沈静化に向かいます。私もこれから修しますお護摩に祈りを捧げます。
各地の「にんげん学」講座後に必ず「食事を兼ねた懇親会」を行います。明日も「にんげん学」京都講座ですので終わりましたら懇親会を行います。時に気をつけているのは「酔っている勢いでしゃべらない」ことです。そして「酔っているときには腹を立てない」ことです。酒は酒自身が飲めとは言いませんが、酒は「酔うためにあり」、「飲むほどに理性が失われていく」のです。
菜根譚(さいこんたん)前集221に「高揚(こうよう)しているときほど、他人への約束を安易にしてはならない。
酔っているときほど、腹を立ててはならない。
有頂天でいるときほど、四方八方に手を出してはならない。
厭(あ)きたからといって、終わりを疎(おろそ)かにしてはならない。」
菜根譚のこの教訓はよくよく熟読すれば理解できることではないでしょうか?。人は「自分の欠点には気づきにくいものです」。とりわけ「有頂天になっていたり、酔っているときには、その欠点が知らぬ間に表に出てしまう」のです。他人からそのことを指摘されたら、「すぐに目を覚まして修正することが肝要」です。
有頂天になりますと、「気持ちが浮ついて判断力が失われます」。この「状態で他人から物事を頼まれますと、冷静に考えればできないのに、できると言って安請け合いしがちになる」のです。結局、そのあと「約束は守られず、信用を失うという」ことになるのです。
「酒は酔うためにあり、飲むほどに理性が失われていく」のです。このことを比叡山修行時代に嫌と言うほど、先輩に教え込まれました。
ある時、お酒をみんなで飲もうということになり(お山の上ではありませんので誤解のありませんように)、「先輩が最誠にも今日は飲ませてやる」と進めてくれました。そして、杯を重ね、持ち上げられ、お世辞を言われ褒められて、「イヤなことがあったら言ってみなさい」と先輩が優しい言葉で言ってくださり、「あること、ないこと、べらべらしゃべり」、その話したことが「比叡山全山に知れ渡り肝を冷やし、お酒は飲んでも飲まれてはいけないことを、胆に銘じたのです」。
ですから、「酔った勢いでの他人批判は避けなければならない」のです。「酔(醉)」とは「酒の卒(そつ)=使い走り」という意味です。酒に使い走りになってはお粗末すぎるのです。「自分で大丈夫だという人ほど危ない」。
飲んでも乱れなければ、適量で百薬の長ともいいます。ですが、「酔えば必ず品格も道理も失う」のです。「酔(醉)」の横の「卒」という字はには「修了(卒業)」という意味もあります。つまり、「酒と一緒に終わる(心中する)ということ」です。
ほろ酔い加減なら、身体がふわふわと浮いた極楽気分に浸れます。それが「深酒にまで進みますと理性は乱れ、本人が自覚できない失態を犯すことになる」のです。酔うほどに「感情が不安定になり、気持ちも高揚する。ここで激怒(げきど)しようものなら、収拾(しゅうしゅう)がつかなくなる」のです。だからこそ、深酒は慎まなければならないのです。しかし「酒に飲まれる人はいくらいっても聞く耳を持たない」、そして「大きな痛い目を見ないと目覚めない」のです。
また、高揚気分のときに何にでも手を出してはならないのです。興(きょう)が冷めたら中途半端に投げ出すことになり、何一つ得ることはないのです。これもまた深く自戒すべきです。何事も「勢いで始めますと、終わりを疎かにして信用を落とすから」です。
勉強会の後の懇親会を早めに切り上げるのは酒は酔うものだと体感しているからでもあります。今日は休日だからといって羽目を外しませんように、新たな週の初めの明日に差し障ります。良い休日をお過ごしください。
明日から二泊三日「28年度入社、ニプロ株式会社様第二陣・新入社員研修」が始まります。入山されます皆様お気をつけて入山ください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
熊本地震の沈静化と復興支援を応援します。