答えのない世界への祈り

おはようございます。

愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」法要、繁栄の聖典読誦ご一緒いただきました皆様ありがとうございます。熊本・大分地震の皆様への支援の心意気をご一緒にお送りいただき感謝いたします。
お祈りの後にお掃除後片付けのご奉仕感謝いたします。績徳の姿を拝見し嬉しく思います。ありがとうございます。
「祈りは答えのない世界への祈り」。未来は「不確実であるからこそ幸せを祈り暮らす」ことが大切です。祈りの人は「人生を慈悲の心で歩み暮らしています」。だから迷わない。
「慈」はサンスクリット語のマイトリーmaitr(友情)にあたり、深い慈しみの心をさし、「悲」はカルナーkarun(同情)にあたり、深い憐(あわれ)みの心をさしています。仏典では、生きとし生ける者に幸福を与える(与楽(よらく))のが慈であり、不幸を抜き去る(抜苦(ばっく))のが悲であると説きます。
祈ることのできる人は、「絶対諦めない」「諦めるという世界を知らない」のです。この度のような天変地異、大地震で一時は悲嘆にくれるのは人として当然です。最初は「茫然自失」となりましたが、やはり、祈りの人は「慈悲の心が厚いため、何かしなければ」という「思いが先に立ち行動となる」のです。
世界各地で熊本の名産を買い求める姿や、チャリティを開き支援金を募る姿があります。すべて「答えがないからこその行動」、「慈悲の行動」です。自然は大きく厳しい試練を私たちに与えましたが、「厳しい現実から大きな慈悲の心を目覚めさせてくだいました」。人生は「答えのない世界を歩むこと」、だからこそ「支え合って共に生きることだ」と教えてくれたのではないでしょうか。「無心に力を合わせている中に、歩まなければならない、共に進まなければならない世界が見えてくる」のです。慈悲はいつも「そのことを示し気づかせてくれます」。
「祈りは答えのない世界への祈り」。「祈りは勇気を与えてくださる祈り」。「祈りは居ても立ってもおられない、助け合う行動力をかき立てる祈り」。
明晩は「にんげん学」小倉講座「老子を読む」。Tao自然の道を説いた老子の心情「自然は非情」であるという「大きな愛」をご一緒に学び、熊本・大分地震への支援の輪を更に大きくしましょう。
昨日まで心華寺で一泊二日で行われました「M&USCHOOL」ご参加の皆さんお疲れ様でした。皆様の学びが社会の為に生かされることをお祈り致します。新しい週、そして4月の最終週。今週は慈悲を大切にお過ごしください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
私たちは「熊本・大分地震」の復興支援を応援します。
昨日法要を終え夕方向かい側の小さい広場に咲いている花を撮りました。




Oさんの昨夜のお供養です。甘鯛の焼き物。アワビの煮付け。蒸し物。手製の切り干し大根の煮付け。Oさんごちそうさまでした。おまいり、お手伝いに感謝いたします。

寺の近くを少しぶらぶらとしました。路地にはきれいな花が足下を楽しませてくれています。街の皆さんは素晴らしいですね。