情操教育

おはようございます。

今日は下関・愛宕寺の「花祭り」。お釈迦様のお誕生を祝福する日です。(本来は4月8日ですが、愛宕寺では毎年29日に行っています)お釈迦様に限りません祝福できる、祝福させていただくことはとても大切です。私たちは人様のことを祝福することを幼い中から「情操教育」として子供達に教え導くことが本人・家族の安泰につながるのです。
「※情操教育「外側からある価値観をもって心情の形をととのえようとする教育。私たちは素晴らしい能力(徳)を授かっています。その徳を遺憾なく発揮させるために、「知・情・意」の三つの正しい連携が必要です。「情という本能」が知性と意志と正しい連携が正しく行動とできるためには大切なことです。いわゆる知性と意志をつなぐはたらき。 あることを行いたい、または行いたくないという考えが意志です。
自分のことしか考えない人間と育てるか、「人と共に」と考え社会的に非常に大切な思考のできる感謝のある人間性に育てるかは親の教育、躾(しつけ)次第ですそれが情操教育です。自分の感情が自分だけのことを考えるのか、人への優しさになるのかが情操、情のコントロールです)。」
人間のイヤな部分の一つが「人を嫉(ねた)む」「人を羨(うらや)む」こと。嫉む羨むことから「怨念(おんねん)」になることが最も避けなければいけません。このような「心」になってしまうことほど不幸な人生はないのです。成長を妨(さまた)げ、わがまま人間に育てるのです。
子供を豊かに育てたい、豊かな人生を送って欲しいと願うのなら「敬する心を養う」ことです。それが「人を祝福することを教えること」です。「人様を讃(たた)えられるようになりますと、尊敬心に変わり。自分もそうなりたい」という「自覚が湧いてくるのです」。この意志が大事です。
親が子供を駄目にする言葉の一つが「あの子のようになりなさい。あの人のようになりなさい」です。「敬する心を自然な形で教え導いていけば」そのようなことを言わずとも、本人が自覚し、知性と意志の連携で「自分の道を探し求め歩むようになる」のです。
今日は「お誕生仏」に手を合わせ家族共に「甘茶を濯(そそ)ぎ」威徳を寿(ことほ)ぎましょう。※寿ぐ「言葉で祝福すること」。
人を尊敬することをしらず、自分を褒(ほ)めて欲しいとばかり願うような子供に育ててはいけません。
私たちの周りに素晴らしいお手本となる人が沢山おられます。人生の長い道中に於いて悩んだり、落ち込んだりするのが人生、そんなとき一緒に語り合い、慰め合ってくれるのが「友、親友」です。そのような友は「敬すればこそできる」のです。
私は職業柄いろいろな人を拝見しています。人を尊敬している人の「貌(かお)がとてもいい表情」です。人を尊敬できる人は「物事に一生懸命になってしまう人」「一生懸命になる人」「仕事を一生懸命にやる人」「仕事を楽しいと思ってやっている人」「工夫が楽しいと思っている人」です。それは尊敬した人に「近づきたい」という思いがあるからかもしれません。だから「良い風貌(ふうぼう)」になるのではないかな?と私は推察しています。いわゆる美男とか美女とは違う、とにかく良い貌なのです。
お釈迦様は天地の道理を説いてくださいました。そのお陰で私は歩むことができています。ただただイキイキと日々感謝して歩むのです。今日はご一緒に感謝、尊敬の心で甘茶を「お誕生仏に濯ぎ手を合わせましょう」。
今日は幸いに休日、ラッキーなことです。このチャンスを逃さず、どうぞご家族でおまいりください。午後1時からです。年令を重ねれば重ねるほど人様を敬することに豊かでなければいけません、寛容です。それにはやはり「敬する心」が大事です。年を経て忘れてしまう方が結構おられます。それではよろしくありません。皆さんでおまいりください。お待ちしております。
そして「一ねんせいになったら」を皆で合唱しましょう。素晴らしい詩です。夢を追い求める気力を失わせない歌です。今日は「敬する」ことを考えて休日を過ごしてみてはいかがでしょう?。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
私たちは「熊本・大分地震」の復興支援を応援します。ボランティアの皆さんご苦労様です。感謝いたします。気をつけてお手伝いください。