言葉

おはようございます。

先日最寄りの駅で電車待ちをしてベンチに座っていますと、歩いてきた私と同年輩か少し上くらいの見知らぬ男性が「おはようございます」と挨拶をしてくれましたので、私も「おはようございます」と返しました。隣に座って、話しかけてきて「言葉の貧乏にはなりたくありませんね〜」というのです。「そうですね」と返し、男性が「言葉はいくらいってもお金がかかりませんしね」と、何故私に声をかけてきたのかわかりませんが、気持ちのよい一時でした。
昨日、伝教大師様のお言葉「道心の中に衣食有り」をご紹介しました。言葉というものは、上の話ではありませんが「魂」があります。「言葉には呪力(じゅりょく)があります」。それを「言霊(ことだま)」といいます。私は教え信じて歩んでいます。以前も書いていますが「信じることは自分を信じること、教えを信じ暮らすこと」です。
正しい道を歩めば衣食はついてくるのだ、と伝教大師様は大音声で教えてくださいましたし、奈良の都を離れ比叡山で独り祈り暮らしをして貧しくとも感奮を実感されたお言葉だったのでしょう。ですから私は比叡山を下山し何の迷いもなくひたすら仏の道を歩み出したのです。
心華寺は寺として存在していましたが、一人の信者さんもおりませんでしたので、いわゆる収入というものがありません、その日から食べることに窮したのです。ですが、言葉とは呪力があることを信じていますので、日々唱えます祈りを私は「意乗(いの)り・意法(いのり)」と称し、自分の大切な心、意識を素晴らしい「言葉(法・教え)に載せ、人びとの幸せを祈り」暮らしたのです。
私が日々祈りますときの前にお唱えします「祈り」という私が作りました文をご紹介します。
「祈り」
「祈りとは、意(こころ)をご真言(しんごん)「オン、ソラソバティエイ、ソワカ」に乗せて、一心に意乗ることである。
無心に唱えれば、辯財天様が乗り移り、我が身がそのまま、辨財天に大変身し、災難から身を守り、願いが叶い、福徳が授かり幸福への大変身となるものなり。
これが意乗りであり、意法であり、祈りとなるのである。
真(まこと)の法に乗せて強い信心を持ち、周囲(まわり)を幸せにしよう。」
ある日、この文が「頭の中に浮かび、それ以後皆さんにもお唱えいただいています」。
言葉は、真言(しんごん)(いつわりのない言葉)、言霊です。ですから言葉は「自分自身の心・魂」です。私はこのように信じ、日々周りの方々の幸せをお祈りしお勤めをさせていただいています。大言壮語せず確かな言葉を発し行動をするのです。
私はまだまだ未熟者、しかし「私の発する言葉は真実の言葉」。だから「大言壮語しない、言い訳しない、言い訳をするようなことをしない」、だから「素晴らしい方々と魂の出会いがいただけたと」、言霊に日々感謝し深く深く祈りを捧げるのです。
今日は母の日です。お母さんに心から「ありがとう」を言いましょう。素晴らしい母の日でありますように。
今日は第二日曜ですので心華寺「水子供養祭」法要、午前10時から行います。おまいりください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
私たちは熊本・大分地震の復興支援を応援します。ボランティアの皆さんご苦労様です。お気をつけてご支援ください。ありがとうございます。
花屋さんの前にきれいな紫陽花がありました。