学んで考える

おはようございます。

爽やかな朝です、少しヒンヤリとします。昨日も風が冷たく、寒さを感じました、風邪などひきませんように、お大事下さい。
何事も一歩がなければ二歩、三歩とは進めません。昨日の「子ども食堂」初日、お客様はゼロ開店休業でした。しかし、段取り等々いろいろ学ぶことや気づきを得ました。やはり実践は大事です。そしてその後の思いは更に大事です。次回の開店日は8日(水)です。来週に向けて精進してまいります。
志があり能力があっても「学ぶ姿勢がないと、何事もゼロから作りあげることはできません。」論語にそのように書いてあります。論語、為政(いせい)第2、15条「子曰わく、学んで思わざれば則(すなわ)ち罔(くら)し。思うて学ばざれば則ち殆(あやう)し。」
意は「外からいくら学んでも自分で考えなければ、物事は本当にはわからない。自分でいくら考えていても外から学ばなければ、独断的になって誤(あやま)る危険がある。」
「学んで考えることが学問のベストバランス」だと孔子は教えます。学ぶという行為ですが、ここでは、「本を読んだり、先人の考えを学習することです。」それに対して「思う」というのは「自分で掘り下げ考えることであり、内面や心の領域となります。」
外側から知識を吸収し、内側を掘り下げる。この「二つのバランスをとることの必要性を説いているのです。」
本などから知識を得る事はよいことですが、知識を得たり、覚えたりすることだけが学問、勉強になってしまっては、「自分で考えるという力が身につかないのです。」これが「学んで思わざれば則ち罔(くら)し」の状態です。
逆に「思うて学ばざれば則ち殆(あやう)し」の状態にも注意が必要です。いくら学業やスポーツに秀でていても、自分のやり方に自信を持ちすぎますと、自己流のやり方に囚われ過ぎて、「よいアドバイスや意見に耳を傾けられなくなるからです。」そして最悪なのは、そこで成長が止まることです。独善的になりすぎますと「対人関係が上手く行かなくなる」のがよろしくない。
外部の方、周りの方と接することで学んだ知識を、「本当に自分のものとして身につけるには」「学んで考えることが必要」です。私は人生の上で「自分に欠けているのは、外から学ぶ姿勢なのか。自分で考える姿勢なのか」ということを時々じっくり考えるようにしています。「思索と学習の繰り返しが重要だからです。」
昨日の「子ども食堂」の初日を終え思うところでした。明晩は「にんげん学」東京講座「論語を読む」です。東京地区の皆さん会場でお会いしましょう。善い一日を。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
私たちは熊本・大分地震の復興支援を応援します。ボランティアの皆さんご苦労様です。お気をつけてご支援ください。ありがとうございます。
今朝の風景。


ご近所の紫陽花です。