己に求める

おはようございます。

何故かこの時季にしては風が冷たく感じられます。今朝も肌寒さを感じます。何か起こらなければと思っています。昨日「子ども食堂」開店初日は開店休業でしたと書きましたら、皆様からのコメントの暖かい言葉がとても嬉しく心にひびきました。
論語、衞霊公(えいれいこう)第15、21条に「君子は諸(これ)を己に求む。小人は諸を人に求む。」とあるのを思いだしました。開店休業の原因は私にあることを実感。
意は「君子は事の責任・原因を自分に求めるが、小人は他人に求め、責任を転化する。」いかがですか、当たり前すぎる責任の取り方です。この当たり前のことができないようではリーダーではありません。
何かの事態が悪化し、「この状態はまずい!」と気づいたとき、そんなとき、人の対応は二つだと孔子はいうのです。「非を自分にもとめるか、それとも他人にもとめるのか」この二通りだということです。心情を「道に例えますと」、「他人のせい」にするのは、みんなが歩く大通りかも知れません。「あいつが悪いと言うだけで物事が終わってしまう」からです。
目標がありながら(目標があると思っている?、目標と錯覚している人?)物事の達成がならないのは、すべて「他人が悪い」と多くの人が選ぶ大きな一本道、それが大道(普通)と思っている。
多くの人は内心では人間関係を良好にしたいと考えているはずです。人間関係が上手く行かない理由の一つが、物事が上手く行かなかったとき「相手のせいにする」ことにあるのです。「お互いがそう思っていますと、関係性の修復は難しくなるばかりです」。
だから「非を己に求める」ことが大事です。そうして考えてみますと、「段取りが悪かった」「あらかじめ宣伝がたりなかった」「いろいろなところに連絡をして知らしめるべきだった」等々、「具体的に事柄を省みて、対策を立てていくのが本当の反省だと」皆様からの暖かいお言葉から気づくことができました。皆様ありがとうございます。今夜は「にんげん学」東京講座「論語を読む」です。東京地区の皆さん会場でお待ちしております。今日は「己に求める」ことを考えてお過ごしください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
私たちは熊本・大分地震の復興支援を応援します。ボランティアの皆さんご苦労様です。お気をつけてご支援ください。ありがとうございます。
先月愛宕寺の信者さんのWさんご夫妻に青海島にお連れいただいたとき、須佐湾の「須佐ホルンフェルス」と呼ばれています岩礁です。



ご夫妻の笑顔が素晴らしい。Wさんありがとうございます。