日常生活

おはようございます。

「にんげん学」東京講座「論語を読む」ご出席の皆さんありがとうございます。心学、特に論語は我が心を見る鏡であり、身だしなみ(人に不快感を与えないように、言動や服装を整えること。また、その心掛け。)でもあります。来月もご一緒ください。師友があることで学び続けられます。
人情に接することはとても嬉しいことであります、しかしこの人情が良い方に向いていればありがたいのですが、悪感情になってしまってはよくありません。そのためにも心情を確かにすべきです。心情を慈悲・仁に置き、豊かに人様に接することです。日常の暮らしの中で豊かにする心情を養うことです。心情は日常で無ければ養われないのです。というよりも、私たちは日常の暮らしで心情・性格を作っていくのです。だからこそ心情倫理の何たるかを知ることです。
※心情倫理=「道徳的善悪の基準を,行為の結果ではなく,行為者の意図・気持ち・意志などに置く立場。人としてどうあるべきか。」。
※倫理=「人として守り行うべき道。善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもの。道徳」。
心情・気持ちをお互いが汲み合う、察し合うこと謙譲が大事です。感情をコントロールすることが人生を豊かにしていく要道でもあるからです。人生はすべからく「関係性」にあります。友好に人間関係を結んで行くにはお互い積極的に相手を支え合い、そして譲り合い、喜怒哀楽を分かち合おうとする心です。それが基本の心情であるべきです「喜怒哀楽(きどあいらく)」を分かち合うことです。いわゆる「共に」です。
論語には、その道、「対人関係がどうあるべきか」が多く説かれています。昨日ご一緒に読みました子張(しちょう)第19、20条は、心情の怖さを示した情です。
「子貢曰(しこういわ)く、紂(ちゅう)の不善は、是(かく)の如く之(こ)れ甚(はなは)だしからず。是(ここ)を以て君子は、下流に居ることを悪(にく)む。天下の悪(あく)、皆焉(みなこれ)に帰すればなり。」
意は「子貢言(しこうい)う、殷(いん)の紂王(ちゅうおう)は、もちろん悪逆の君であるから、多くの不善をなしてはおるであろうが、その不善の程度は、世間でいうほどひどいものではなかったであろう。平素悪い行いをしていたため、結局他の者の罪まで引き受けねばならぬこととなったのであって、あたかも河の下流にあらゆる汚物が集まり寄るようなものである。かかる訳で、道に志す君子は、河でいえば下流ともいうべき地位におりたくないと心がけるものである。一度(ひとたび)、あれは人間として最悪の者、との評判が立てば、天下中の悪事がことごとくその人の一身に集まって来るからである。」
いかがです?もうこれ以上説明は必要ないでしょう。「悪事千里を走る」です。人は誰でも過ちを犯します、犯したとき、どのような態度が大事でしょう、「改むるに憚ることなかれ」です。過ちを犯して改めずにいれば、人の心情を害することはいうまでもありません。
いかに日常生活の態度、心がけが大切かです。身だしなみ、人の心情、心情はとても暖かくもあり、冷たくもなるのです。
神経質になりすぎず、日々心学を読み、道徳の道を静かに淡々と歩みましょう。道に叶えば栄え、叶わなければ衰退します。明日は第1日曜日ですので心華寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」午前10時からです。ご一緒に心身の鏡であります「繁栄の聖典」を読誦し護摩の炎に祈りを捧げ悪い芽を燃やし尽くし、繁栄の芽を萌しましょう。
今日は「身だしなみ・心情」とは?を考え一週間を振りかえってみましょう。明日は心華寺でお待ちしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
私たちは「熊本・大分地震」の復興支援を応援します。ボランティアの皆さんご苦労様です。気をつけて作業お手伝いしてください。感謝いたします。
昨日「にんげん学」東京講座へ向かいます新幹線の車中からの富士のお山です。昨日は恥ずかしがって雲の中でした。




「ぶら和尚」で六本木森ビル、森アーツセンターギャラリー52Fで「盛会遺産・ポンペイの壁画展」を鑑賞してきました。




52Fからスカイツリーが。


ビルの下にあります小さな毛利庭園の紫陽花です。




Mさん毎月お花をありがとうございます。

第二部の勉強会です。