大悲の心

おはようございます。

いつもブログにコメントをくださる方、文章表現がおかしいと感じたら教えてくださる方、おまいりに来てご一緒に読経くださる皆さん、お供えやお供養をしてくださる方々、今夜の「にんげん学」小倉講座にご参加くださる方、そしてfb、Twitterに応えてくださる方々に触れますと、「金子みすゞ」の「こだまでしょうか」を思い出します。あぁ人は素晴らしい!と感動と感謝の日々です。
悲しむこともできます。悲しめることはとても大切なことだと思っています。喜び以上に悲しめる人間になりたいものです。お釈迦様は大慈大悲の人です。だから大いなる法、教えを説かれたのです。今の時代、同情と違う、共に悲しむ、悲しんでくれる人が少なくなって争いが増えたのでは?と憂いています?。
人に期待ばかり多く、人を許せない社会では、自棄を起こてしまう人が多くなるのではないでしょうか?人様の言葉を聞き、勇気を出し歩み出す私でありたいと、この詩を何かあったとき読むのです。詩を紹介します。
「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
「馬鹿」っていうと
「馬鹿」っていう。
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」という。
そうして、あとで
さみしくなって
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、
いいえ 誰でも。
大好きで大切にしている詩です。情の世界を素直に歌ったこころ、金子みすゞという人に出会ったことはありませんが、私の中で大きくふくれあがり、私の「金子みすゞ像ができあがっています。大好きな人です。」
出会ってくださる方々お一人お一人がだから私は好きです。「こだま」は自然です。だからこそ私は、どなたの声でも、どんな声でも心を打つ音なのです。
金子みすゞは「こだまを自分の心とした、自分の心を投影し、こだまのように在りたいと願って日々を暮らしたにちがいありません。」
一喜一憂することがあるからこそ「人としてこだまとなり、応え歩みたいと私は願うのです。」悲しみを味わうことがなければ、優しくはなれないと思っています。悲しみこそ私は「強さ」だと考えます。でなければ「共に」という心は生まれないのではないでしょうか?
祈りも心学も私にとっては「こだま。」いつも読みお唱えすればこだまとなって反ってくるのです。この詩ほど、「人としての在り方を明快に示しているものはないと思っています。」
今夜の「にんげん学」小倉講座「老子を読む」でご一緒に音読しましょう。Taoも同じ事を教えます。私たちの魂にこだまします。会場でお待ちしております。皆さんも「いいえ誰でも」を信じる一日としましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
私たちは「熊本・大分地震」の復興支援を応援します。ボランティアの皆さんご苦労様です。気をつけて作業お手伝いしてください。感謝いたします。
☆8月1〜3日迄心華寺の夏休み恒例行事「少年・少女・親子塾」で最終日のお昼に行われます「そうめん流し」のそうめんを流します「樋」を滋賀県守山にお住まいの信者さん、毎月「長寿小咄」をやってくださいます、Sさんが作って持ってきてくださいました。ありがとうございます。子供達が大喜びするでしょう。こだましています。