性に目覚める

おはようございます。

「にんげん学」小倉講座ご出席の皆さんありがとうございます。心学は「自身の新たな扉をノックするようです。」いつも自分の新鮮な感動に自分で驚きます。学びは感動です。
老子47章、「幸せの青い鳥は、自分の家のかごの中にいる。」という話、「性(こころ)に目覚めよ」という話はショックですね、というよりも、自分ではわかっているのですがね。
老子の言葉を読みますといかに「性(こころ・可能性までも)が外の世界に奪われてしまっているかを知り愕然(がくぜん)とします。」
「窓から外をみなくても、
「自分がどう生きるべきか」はわかるものです。
遠くにいけばいくほど、自分にわかることは少なくなっていきます。」(老子47章)
という話、皆さんいかがです?、この老子の表現、心、私たちは幼い頃の感動・夢を忘れていませんか、「性(こころ)に響いてきた感動。」そして「自分を夢見た自分です。」自分を自分で欺いていませんか?
いくら勉強しても充実感、生きがい、悦びを感じられないのは、「自分に求めず、」「自分を外に遠くに求めてしまい、」「人生をわからなくしてしまっているのです。」
これは「勉強の場所を外に求めるな、という話ではありません。」
「私たちは自分が今、日常で体験している生活の中でしか「自分が幸せになる答えは」見つけられないということです。」
「どうしたら好かれるのか?」その答えを知りたければ、「自分はどんなときに他人に好感を抱くか、自分の心中を探れば、答えはみつかるのです。」
心学は「知行合一」を教えます。「知ることは行動すること」と一体になって、「初めて学んだことになるのです。」
「行動する」ことは、まさに日常生活の中でしか体験できません。「人生の幸せは日常生活の中に、」そして「自分の心と頭の中に、すでにあるのです。」老子は自分に正直に、そして、目指すことを達成するためにコツコツと学びなさい、それが幸せであり知行合一だと教えます。
それと、もっと大切なのは、外に求める心は「評価を求めているという欲があることを忘れてはならないのです。」だから、いつまで経っても幸福感、充実感、生きがいとはならないのです。世間の「奴隷と化している。」それ以上に「不満と不平にしかならないのです。」といよりも「自分で不満の種を作ってしまったというべきでしょう。」
上に書きましたが、「求めているから得られないことを知るべきです。」
皆さんは求める以前に「何かを人様に与えていますか?」「尽くす悦びを知っていますか?」それは「何も人に対してばかりではありません」「仕事に対しての悦びですし、仕事に尽くす悦びです。」「探究する悦びです。」「研究する悦びです。」あげればきりがありません、これらの悦びは「すべて性(こころ)の中にある魂の悦びです。」
はてさて今日はどのような悦びと出会うのでしょうか?素晴らしい一日でありますように。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
私たちは「熊本・大分地震」の復興支援を応援します。ボランティアの皆さんご苦労様です。気をつけて作業お手伝いしてください。感謝いたします。
☆勉強会の様子と、お世話くださりMさんが飾ってくださいますお花です。Mさんありがとうございます。



☆懇親会です。Oさんお誕生日おめでとうございます。そして皆様遅くまでありがとうございます。