風向きで

おはようございます。

先日、大変不幸な事件が起きました。被害に遭われました皆様のご冥福をお祈りいたします。そして二度とこのような不幸の起きないことを祈ります。
風向きが良い、悪いなどと表現するときがあります。いわゆる世間の風向きと言いますか、職場や仕事の世界で自分に良い風が吹いている、いないということなのでしょう。
人の心をどうすることもできません。昨日も書いていますが、好かれたいと思っているのなら、「どんなときに人に好感を持つのかの自分の心を知ることです。」
知ったからといって、何もへつらうような生き方をするのではなく、「多くの人に好感を抱くことがいいと私は思っています。」
それには「自分の都合で人を見ないことだと思っています。」「打算で見ないことです。」人は出会って最初は「素直に懸命になって働きます。」この素直さが自分の人柄として継続できれば「人格者といえるのかも知れません?」なかなかどうしてむずかしいことです。
私たちは自分の「都合、都合から見ている」ということを理解していなければ、「自分だけは誠実でやっていると思っています、これがやっかいな代物です。」「初心忘るべからず」が肝要。欲、都合から見ているのでは決して人様を正しく見ることはできません。
長くおつき合いをしてきますと、欠点や、嫌な部分が見えてきます、そして「だから私のことを評価しないんだと」自分の都合で「相手を見てしまうようになるのです。」これがくだらない人生を作り、人間を小さくします。それが実に面白くない人生を作り出すのです。
私は教えを通して自分の歩むべき道を「一日一生」「ポストにベスト」という自分の都合で歩んでいます(勝手な自分の都合ではいけないことを知ったから、普遍性という教え、都合で生きるのです。)
世間の風向きが悪いときは「評価されないでしょうし、」風向きが良いときには「評価くださる、」と理解しています。だから、私は日々自分に誠意を以てどのような評価を得たとしても、「腐らずに在りたいと暮らします。日々の行動が人格を形成するからです。」
風向きが悪いとき、こんな会社やめたろうか、こんちきしょうあいつは、ひどい人間になると、親や兄弟まで悪く言う人もいます、このように自棄になってはいけません。風向きが良くなるときも悪くなるときもあるのです。風向きは誰のせいでもないのです。だからこそ自分に誠意を持って自分の歩むべきことを確かにしなければならないのです。
大きな幸福感を手にした人は風向きが悪いときでも「不運、運が悪いなどと考えないのです。」そんなことを考えていれば、良い風が吹いてきたときには堕落してしまっていることを知っているからです。
悲しみを味わいますと、同じような悲しみを持った人が多くいることに気づかされます。喜びを味わっても同じ事がいえます。人生悲喜交々です。そして又仲間、共にする人が増えるのです。
今日も一昨日皆さんと学んだこことを心の坐りとして歩みます。皆さんは自分の心をどこに据えますか?今日が良い一日でありますよう祈ります。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
私たちは「熊本・大分地震」の復興支援を応援します。ボランティアの皆さんご苦労様です。気をつけて作業お手伝いしてください。感謝いたします。
愛宕寺の路地に咲いています。小さな花、小さくても目は引きます。