今を

おはようございます。

私たちは優れたものを称讃し憧れます。これは大切な気持ちです。しかし多くの人は称讃も憧れもされないのが現実、だからといって不幸ではありません。
私は私と普段に話をしてくれたり、一緒に仕事をしてくれる周りの人、身近な人を大切にします。これ以上の幸せはないのです。
先日も老子で学びました「あるのは、今と、ここ」。
今、愛宕寺にいますが、世間様、特にタクシーなどに乗せてもらったとき、ドライバーの方に「愛宕寺まで」と行き先をいうのですが、かならず「どこですか」と何十年も聞き直されます。それは小さい寺だからです。そして、いつも思うのです、「私だけは愛宕寺はどこにあるか知っているよと、だから安心してと」、私とて同様です。私は私を知っています、それでいいのです。それが幸せです。
今を幸せだと思うことがとても大切です。なぜなら人生は「今の連続だから」です。
人は比べられて称讃されることを本当に喜ぶのでしょうか?、私は逆ではないかと思えるのです。称讃されてしまえば、称讃されなくなったときの怖さ不安がわいてくるのでは?と、称讃されたことのない私は考えてしまうのです。
孔子は「君子は周して比せず。小人は比して周せず」と。宜(むべ)なるかなです。私は君子ではありませんが、人を人と比べ「云々する愚かな人間になりたくないと考えています。」世間には人と人を論じる人がいっぱいいます(人を云々する人は、私は見る目があるんだよ、と言いたいのかもしれません)、そんな話を聞いていますと「うんざりといいますか、げんなりして、般若湯もまずくなってしまいます。」比べられるほうも、いい迷惑では?
何か淋しい悲しい事件が起きますと、小利口な人間が人様を云々しているから、人様を云々する愚かな人間が増えてしまったような気がしてならないのです。
人様を云々する人は、自分がよほど偉いと思っているからではないでしょうか?、このようなことを書くことも同じ罪、過ちかもしれません。
私が憧れた「言葉・教え」、「己を忘れて他を利する」「ポストにベスト」日々このように歩めることが幸せです。
褒められたい、評価されたいと考え悩んでいる人は、評価社会を認めている所以の悩みです。自ら競争社会を心の中で作り独り相撲をして悩む愚は犯したくないものです。
世間様はいろいろな人がおります。しかし「私は私で在りたい、ただそれだけが幸せです。」きょうもベストを尽くします。
自分のするしないを省みて、人様のするしないに心を悩ますことをせず、自分の為(な)すべき事を為しましょう。きっと天が皆さんを(私を)見て下されています。
明けの明星を拝むとき、お天道様が昇れば見えなくなるんだな〜又明日の朝会いましょう。私の心の中にいつもあなたはいますよと手を合わせ祈ります。今、目は前におられない皆さんも私の心の中に確かにいます。ご安心ください。良い一日を。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
私たちは「熊本・大分地震」の復興支援を応援します。ボランティアの皆さんご苦労様です。気をつけて作業お手伝いしてください。感謝いたします。