おはようございます。

今月のご愛読ありがとうございます。毎日お訪ねいただき感謝いたします。返す言葉もありません、ただただそのご恩に報いることができますよう今日も一日を大切に祈り、しっかり一ヶ月を締めくくります。
私は「恩」という言葉が好きです。昨日の共感と同様、それ以上かも知れません。出会いをいただき、気づきを与えて下された、その上長くおつき合いをいただいています。そのような皆さん、又ただ出会って終わった方等々いろいろな方に感謝しています。出会い縁は「巡り合わせです。」自分が人生を経巡(へめぐ)りしたからこそ出会えたのです。これは大事にしなければいけません。
すべての方に恩義を感じています。少しでもその恩をお返ししたいと願っています。私は元来論理的でない人間。直感的、本能的といいますか、いつも明るく暮らしている人の姿を拝見したり、心学の書を読みますと「恩義に厚い人が輝いている」ことを感じ取っています。何よりも不器用だった私が共感したことは偉大な先人のほとんどが「一点集中、一人の人の教えに集中していることです。」いわゆる、器用な人が少ないと感じました。それが喜び力になったのかも知れません。皆さんも教えに一点集中することの大事を知ってください。いわゆる心の据えどころ置き所、腹を据えてかかること、それでこそ「胆力もつく。」
胆力がつきますと、「圭角(けいかく)が失せます。」人と争おう、競おうなどという気持ちがなくなるのです。人は尽くすこと、仕えることをやめますと「自惚れが出ます。これは慢心です。慢心は社会への挑戦でもあり、周りに知らない間に敵を作ってしまうのです。」これでは己を高める前に他のことに気持ちを奪われ疲れてしまいます。よろしくありません。
お仕えしますと、お大師様の心に、お師匠の心に触れる、近づける、そして益々好きになるという言葉は語弊を招きますが、敬う心が増すのがわかるのです。
今月の4日は「比叡山延暦寺様への不滅の法灯ご分灯、報恩登山」。日常での報恩は「教えに忠実に如法(にょほう)に生きることと考えています。」ただただこれだけを19才のおり仏弟子になって以来心がけてきたことです。
伝教大師様のお言葉「一隅を照らす」で比叡山延暦寺を知りお大師様のお言葉に添って歩みたいという一念で登山、滝口宥誠師に出会い入門、弟子として「修行の場を与えていただいた。」
そのご恩に報いるためという気持ちでお仕えさせていただいた50年。「どうすれば、どうすればという思いの50年だったようにも思います。」悩むのでは無く、「どうすればという思いをすることが楽しい50年でした。」
学ぶことの嫌いな私が報恩という教えに出会わなければ「学ぶことをしなかったのではと思います。」「学ぶこと=まねぶこと」だと知ったことが大きな財産になったようです。そして「知ることは=行動すること」であるということも。覚えなくとも良いのだということが、物覚えの悪い私には「勇気を得る教えであり考え方でした。」
教えをいただき、共感を得れば、そのご恩に報いるには「どうすれば」という考え、思いからの行動が「多くの場(ステージ)を与えていただいたと感謝しています。」
今日は愛宕寺ご開山・兵頭全信尼の祥月命日、愛宕寺という場を与えられたご恩に報いるためにお勤めを為し、その後心華寺に帰ります。今月のご愛読ありがとうございます。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
私たちは「熊本・大分地震」の復興支援を応援します。ボランティアの皆さんご苦労様です。気をつけて作業お手伝いしてください。感謝いたします。
☆昨夜愛宕寺の近くで花火がありました。