感謝すると自分をチェンジできる

おはようございます。

昨日まで心華寺で行われました「少年・少女・親子塾」ご参加の皆さんありがとうございます。東京から父子でご参加いただきましたKさん、お子様とご一緒いただき、他のお子様のお世話もいただきありがとうございます。感謝いたします。
日常では味わうことのできない世界、将来きっと何かの縁に触れたとき、二泊三日の体感が目覚め蘇ります、お父様が何か一つ行動を継続いただけますれば素晴らしいことだと思います。
お子様をご参加させていただきました保護者の皆様ありがとうございます。時々話題にしてあげてください、話題にしてあげることが、信頼関係を増す絆になります。三日間ありがとうございます。子供に限らないことですが、「話題にしてほしいという無意識があるのです。」それを大切になさっていただきますと、お子様が将来さらに優しいお子様に成長されます。ありがとうございます。
今日は下関・愛宕寺「盆・施餓鬼供養法要」です。お盆はご先祖様がお帰りになられます。最高の礼節を以てお迎えしましょう。ご先祖様があっての私たちです。
「〜があっての私」という心を「感謝といいます。」「お陰様とも言います。」この感謝とお陰の気持ちが強くあればあるほど実人生において「感謝の行動ができる事になるのです。」ご先祖様に感謝するということは「物事の道理を知ることであるからです。」
「何故、今、ここに生活が在るのか、仕事があるのかがわかるようになるのです。」
人生がうまくいかない、仕事がうまくいかない、勉強がうまくいかない、という方がおられます。何故でしょう?それは私が知っています、嫌いだからです。かつての私が「嫌いだったからです。」「だからいつまでもうだうだ言っていた。」
このような気持ちを孔子は「小人は同して和せず」と表現しました。どういうことかと言いますと、勉強が嫌いなくせに「学校に行った」、仕事が嫌いなくせに「職を探した」。
自分なりに考えているような気がしているだけで「何も考えておらず、周りに流されているだけ」「同して和せずなのです。」
私は以前は私自身に嘘をついて暮らしていました、そして口先だけでとんがって、現実から目をそらしていた、自己認知していなかった、感謝の気持ちでは無く、感謝の行動が私を変えたのです。
何故かといいますと、ご先祖様をお迎えするときは、「私にも役目があったのです。」役目があったから「存在意義というものを言葉では知らなかったが、体が喜んでいた、きらいではなかったのです。」
それが核になって「どうすればご先祖様が喜んでくださるのかな?という意欲になったのです。」それがいろいろな「意欲につながって、自己認知を繰り返し、様々な世界で私自身ができるであろう事への意欲に変わっていったのです。」
それが比叡山という社会、宇治という社会、下関という社会の中で、無意識に行動に意欲が出たのです。皆さん、感謝、お陰様の心は「意欲をかきたててくれるのです。」
その前に「自分の弱さ、できないところを認める、自己認知が大事であることをお忘れ無く、」そこで初めて「自分をチェンジ・自己改革ができるのです。」世の中を人を云々するまえに「自分をチェンジです。」午前10時から厳修いたします。おまいりください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
私たちは「熊本・大分地震」の復興支援を応援します。ボランティアの皆さんご苦労様です。気をつけて作業お手伝いしてください。感謝いたします。
☆玄関のお花と、信者さんの松琴堂さんからお盆の落雁のお供えです。松琴堂さんありがとうございます。