分かち合う

おはようございます。

今朝は涼しい風が吹いて気持ちのよい朝です。心華寺「月例・幸福開運祈願祭」並びに「盆・施餓鬼供養法要」おまいりお手伝いありがとうございます。昨日も暑かったですね、しかし皆さんの信仰心で心爽やかとなり、涼しく感じました。
全国からお寄せいただきました「施餓鬼供養お申し込み」ありがとうございます。数日しましたら「回向之証」をお送りいたします。ご先祖様がお喜びです。
さらなるご一家のご安泰が得られることでありましょう。一層ご先祖様をお大事に供養してください。
施餓鬼法要はいろいろな意味合いがありますが、私は皆様から「供養されていることで生かされていることへの感謝の行動と捉えています。」私が「飢えに苦しむ餓鬼に施すのではなく、」「多くの皆様が私に供養していただいている事への感謝です。」
餓鬼とは「欲しい欲しいの貪りの心に犯されている者のことをいいます。」餓鬼の定義は「私そのもの」ではないかといつもいつも反省です。
だからこそ機会があるときいつも皆様に「お供養をさせていただくのです。」仏の教えは「得た物は、自分一人で得た物、また自分一人の物と考え費やしてはならないと教えます。」
必ず「お返しをしなさい、わかちあいなさい」と教えます。なぜかといえば「一つとしてわがもの」というものはないからだと、教えるのです。すべて「因縁によって、自分に分けていただいたもの、授けていただいたものだからです。」だから大切に周りの人に供養し、自分一人だけのものと考え物を粗末にしてはいけないのです。
日々朝一番に茶湯・水をご本尊様、ご先祖様へお供えさせていただき、日にちを決めての果物やお菓子等々をお供えさせていただく、そしてお客様にもお茶やお菓子を供養させていただいております。日々のなんでもないようなことですが、供養は「おもてなしの心に自然通じていくのです。」いつも、申しますように日常の繰り返しが人格、人柄を養い作ります。
格別に法事を行うことは、「法事の機会を通して日常としなさいという教えです。」そうすることで、お仕事に一番必要な「気配り、心配り、人様の心を察する心が養われるのです。」そして最も肝要なのは「手間暇をかけることを厭わない心養っているということなのです。」
祈る前、手を合わす前に、お茶の用意、夕方下げれば洗い片付けをするという「段取り、準備、後片付けを日々の暮らしの中で養うことにあるのです。」
社会の中で「段取り、準備が仕事を創り出すからです。」仕事の出来る人は多くありますが、「仕事を創り出す人は少ないのです。」それは「人様への段取りや準備の必要性を日々の中で養っていないからです。」いわゆる「気配り、心配り、心を察することが出来ていないからです。」日々の先祖供養はこれほどの「凄さがあるのです。」
明日は「にんげん学」大阪講座「老子を読む」です。「退く勇気の話しです。」進む勇気よりも大事です。「人生にとって一番大切な話しです。」世界中の学びの場で「退く話しは心学である、にんげん学講座だけです。」会場でお待ちしております。
今週も朝一番のお供養からスタートしましょう。素晴らしい充実感のある一週間でありますことをお祈り致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
私たちは熊本・大分地震の復興支援を応援します。ボランティアの皆さんご苦労様です。お気をつけてご支援ください。ありがとうございます。
☆皆様からの施餓鬼お申し込みをいただきましたお塔婆です。そして昨日おまいりいただきました皆様へのお供養です。
大阪から毎月おまいりくださいますKさんが前日からの泊まり込みで段取りしご奉仕くださいます。Kさんありがとうございます。感謝致します。