私が私でなくなる

おはようございます。

この時季汗疹(あせも)に悩まされます、お護摩を修しお勤めでびっしょりの汗をかくからです。修し終えて冷たい水(井戸水)でタオルをしぼって汗を拭くのですが、しかし若いのかな?などと思って自惚れてはいます。
それと蚊です。これにはいささかまいっています。しかし、これも集中力を養うためにご本尊様が与えて下された試練と思い、護摩に集中し皆様の心願を祈ります。
言い訳がましいですが、何かあったほうが集中はできやすいようです!。そして集中力が養われると確信しています。何か困難なことがあったときには「よし、と気合いを入れます、これが好きでもあります。」人間にはオートマチック、ギヤパワーがついているのです。
隻手音声(せきしゅおんじょう)という公案(弟子に出す問題。両手を打つと音が出るが、片手にはどんな音があるかということを問うもの。思慮分別(しりょふんべつ。物事の道理や正邪・善悪などを注意深く判断すること。また、その能力や判断)を越えた絶対の境地に導くものとして、白隠禅師が初学者のために用いた。)があります。
手を打てば音が出るというばかりではなく、何か物事に直面したとき、自分がどう動くか反応するかということです。
暑いとき動けば汗が出る、夏は寺には蚊が出る、分かりきったことです。汗がイヤで、蚊に刺されるのがイヤで、という音を出せば、怠惰な自分を作りあげます。
「事に直面した後にどのような行動をとるのかが、その人間の本質・本音です。」そこには、知識も何も役に立たず、「人間力そのもの」「その人の性質そのものが出ます。」
人と対しているときには人間は大概、「我慢もすれば、辛抱もします。」
勉学、修行は一人でやります。「思いは自分の心の中の自分だけの思いです。」学び修行した思いが「出る瞬間が隻手音声。」直面した相手、状況によって「自分の本質が出る・本音が出る」のです。
感性(感受性)は嘘をつきません。自分自身を守る本能だからです。ですから、何かイヤなことと直面した後の行動、経験、体験した後の行動が「その人の本質・本音です。」
知った後の行動、体験経験した後の行動、直面した後の行動如何が自分の人生の夢を手にできるかどうかのポイントです。
汗疹が痒くて辛いと考え、お護摩を修すことをやめたら、私は私でなくなり、蚊に刺されることがイヤでお護摩を修すことをやめたら、私は私ではなくなるのです。
春夏秋冬繰り返されますが、年々歳々新たな試験をご本尊様は用意して下されています。ありがたいことです。一生工夫です。今夜は「にんげん学」一宮講座「新・論語を読む」、会場でお待ちしております。字は動きませんから、分かったつもりにならないようにしましょう。分かったら止めるというのは、あなたがあなたではなくなるときです。
どんなに計算が上手でも、計算するものがなければ計算能力は発揮されません。人生とは隻手音声。片手が音の出る可能性を秘めていても、もう一方の手(相手、人様、仕事)がなければ音は出ません。おのれの小さい思慮分別を超えたところに人生の生きがいも、喜びもあるのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
私たちは熊本・大分地震の復興支援を応援します。ボランティアの皆さんご苦労様です。お気をつけてご支援ください。ありがとうございます。
☆何となく穏やかな感じだったので。