遠いが確かな記憶

おはようございます。

今朝は涼しいというよりも寒いといったほうがいいかもしれません、お星様がきらきらと輝いています。きっと良いお天気になり運動会日和になるでしょう。
知的能力、運動能力も劣っていた私、東京オリンピックが開催された昭和39年私は高校2年。勉強がわからずに苦しみ、わかることに喜びを感じていた時代。今でも勉強は苦手、しかし知ることの喜びは知っています。だから学ぶことは今は大好きです。
この書きようは何か矛盾しているようですが、私の中に矛盾はありません。やらされる勉強が苦手だっただけで、自分が知りたいと思うことは寝ずにでもやっています。こちらの方が勉強することだと思っています。いかがでしょう?皆さんは、どのように考えますか?。好きな勉強をしていますと、苦手だった勉強の必要性も感じてきます。まったく好きになったわけではありませんが、受け入れることを学んだのです。
好きや嫌いは主観。「人と比べないことが、好きを貫けますし」「嫌いに惑わされなくなります」。これを確かにしてから迷わず惑わずに歩んでいます。
自分の好きを実現するために生きることが一番自分の徳(能力)を高めることです。徳を磨けば得、得ることが多くなるのです。
自分の好きなことをやらないから、「道から外れる」「逃げる」。私がこんなことを書きますと高校の後輩から叱られますが、私の行った高校は最低のレベル(過去形ですよ)。しかし、私は勉強したいという意欲がありましたので、「最高レベルでした」。
弱虫で、勉強も何もかもに落ちこぼれだった私、「人から当てにされないことが一番悲しいことでした」。ですから、人の後から従って歩くしかなかった。あるとき、人の手伝いをして喜ばれた事があった、それが何かを変えた。
喜びを知り、高校へ進みたい、勉強したいと考え、高校入学が実現。そして目覚めたのです。「人の手伝いをしよう。人の世話をしよう」。
そのきっかけが、私の「歩む道となり」、縁があって比叡山で「ポストにベスト」という教えを知る事に、「慈悲の道を知った」。慈悲の道、それは「人のことを考える、思いやる道」。自分の事しか考えなかった時代は苦しいばかり。世間が人が嫌い。「今は大好きです」。
何も、人様に評価して貰おうというのではありません。私自身が「楽しいのです」道を歩むことが、楽しいから学べるようになった。
人生は人間関係が多くの悩みや苦しみを作ります。それは「自分が先か、人様を先にするかで問題を生むのです」。私は「己を忘れて他を利する、人様が先」という道を歩んでいる。この道を歩んで生きがいにもなり、楽しいことを多くしています。
楽しく、快感を感じるのは、考えて考えて苦しむ事で事が成るを知りました。しかしその苦しみは苦しみとは思わず、自分を鍛えてくれる楽しみであることも知ったのです。オリンピック、パラリンピックの選手は工夫し、苦しさの先に楽しみを体感した故に、厳しい練習ができるのです。楽しいばかりでは決して続かないのです。
体育の日の今日、遠い記憶でありながら、確かな記憶の高校時代を思い出し、ああ、あの母校があったから、愚かな息子でも高校に入れて上げたいと思ってくれた親の愛を思い出しました。
レベルという言葉が好きになったきっかけです。最低レベルの高校に入れていただいたから、人生の階段を一歩ずつ一段ずつ登る楽しさに出会えました感謝しています。
自分の喜び、自分の楽しさを知りましょう。喜び、楽しさを知れば絶対に壊れることはありません。良い体育の日を、今日は片足立ちを、2分できるようにするぞ〜、今の私の楽しみです。人生は人から見れば笑えるようなことでも自分が楽しむ事!。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
私たちは熊本・大分地震の復興支援を応援します。ボランティアの皆さんご苦労様です。お気をつけてご支援ください。ありがとうございます。
☆私の万年カレンダーの2日の言葉。本堂に掛けてあります。

昨夕、門を閉めているときに。阿弥陀如来です。




帰る途中で。