功利を超えた使命感

おはようございます。

昨日は宇治川沿いにあります、観音山、大吉山という標高百メートルくらいの山を二時間かけて歩きました。ゲスト二人とご近所のIさん、私の家族で歩いてきました。おにぎりを持ち手近なプチハイキング。
山の上から宇治の町を眺め、遠くまで見えるな〜と思いつつ、いくら遠くまで見通せても、高くなれば高くなるほど足下が見えず、土台がしっかりしていないとあぶないな〜と思いながら遠くを眺めていました。
会社も上に立つ者がいくら先を見通せたとしても、支えてくれる社員の皆様が守ろうとして下さらなければ、いけないということです。上下相和してこそ安泰すると当たり前のことを、改めて思い知り、いくら見通せても上下相和すことがなければ仇になるだけ、日々の営みに感謝でした。
比叡山にいたときにも感じていました、植林された檜木や杉の木が植栽された場所はどしゃ降りやとんでもない雨が何日も続きますと、土砂崩れが起き地滑りがおきてしまい、何百本もの檜木や杉の木が倒れてしまうのです、それだけで済めばいいのですが、道路が崩れたり大きな被害が出るのです。
一方何ともない箇所もあります。それは古くからの雑木が何本もある箇所。雑木は根を広く深くしっかり張り、上の木を伐ったとしても又春になれば新芽が出てくるのです。自然林の根は腐らない、ダメにならないのです。それは山を支える、崩れない役目をしているのです。
一方、檜木や杉の木を伐採した後は春になっても芽は出て来ないのです。それは根が広く深く張っておらず、ただ大きくなっていくだけなのです。そして上を伐ってしまいますと、根もダメになるのです。だから芽が出ないのです。そして、とんでもない雨やどしゃ降りが続きますと、土を支えるものがなくなり地滑りが起きてしまうのです。
昨日登りました山は檜木や杉の木の中に混じって雑木が多くふくまれていました。ですから地滑りの後や、土砂崩れの後などありませんでした。
人生、会社も同じ事ではないでしょうか、必要な事ばかりしか勉強せずにいますと、条件が調っているときには立っていることはできますが、とんでもない事態が起きたときに脆くも倒れてしまうのです。
自然は何を私たちに教えているのでしょう。自分の小さな世界、功利主義でしか人生・会社を考えられないようでは危うい人生となるよと教えてくれているように感じます、山の上から宇治市内を眺め安泰をお祈りしました。
私たちは「何故に今立っていることができているのか?」という「感謝の念を忘れたとき、土台を失うのです」。自分が成長することだけを考え、育てて貰った恩、大地(土台)への恩返しを忘れてはならず、「足下を固めず上に伸びれば倒れるのが道理・摂理を知れ」ということです。「功利を超えた使命感を持って歩むべき事を教えられたプチハイキング」でした。
今夜は「にんげん学」京都講座「老子を読む」です。tao自然の道をご一緒に学びましょう。今週も充実した一週間をお送りください。
今朝は強い雨が降っております、枚方のNさん今朝も作務にお出で下されています。ありがたいことです。 

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
私たちは熊本・大分地震の復興支援を応援します。ボランティアの皆さんご苦労様です。お気をつけてご支援ください。ありがとうございます。
☆皆さんと一緒にプチハイキングです、ドングリも。良いお天気でした。