無知の知

おはようございます。

一昨日は旧の大晦日、昨日は正月、大晦日に良い反省ができ、爽やかな正月を迎え、今年は何かしら共にして下された皆様とより一層の修養ができそうな嬉しい気持ちです。
昨日の続きのような話しです。おまいりの方や、研修にお出でになっている皆さんを拝見し本当に感心します。皆さん真摯で真剣。その方達にとってみれば当たり前のことなのでしょう。
自分に置き換えて見て、さてさて、自分はどうだろうか?見習わなければと、いつも感心しています。感心しているだけではいけませんが、感化をうけ、気持ちが高揚するのが嬉しくもあります。
ありがたいことに、寺は老若男女、様々な方がおいでになります。若い方だから、輝いているというのではなく、私より先輩の方も沢山の方が輝いているのが嬉しいことです。
いろいろな方とお話をさせていただいて何が喜びかと言いますと如何に自分が「無知かを知る喜びです」。それで又知りたくなる。その人に興味が湧く。
論語、為政(いせい)第2-17に「子曰わく、由(ゆう)、女(なんじ)に之を知るを誨(おし)えんか。之を知るを知ると為(な)し、知らざるを知らずと為す。是(こ)れ知るなり。」。
訳、「弟子の子路(しろ)に対し、孔子がこう話した。「おまえに「知る」とは何かを教えてあげよう。知っていることは知っているとし、知らないことは知らないと明らかにする。それこそが「知る」ということだ。」。
私たちは「知る以上に」「知らないことを知るべき」で大切なことです。知るとは「知らないことを知ることこそ「知る」なのだ」という考えが示されているのです。
己を知らないからこそ、失敗するのです。だから善言を知ったら、偉そうに話して墓穴を掘り、己をダメにしてしまうのです。老子は「善言は善言ならず」と。固定観念で話せば批判非難にもなることを知ることが大事です。
孔子と同じようなことを説いた人物がギリシャの哲学者「ソクラテス」です。彼は賢者と呼ばれる人たちとの対話を通じて「無知の知」という境地に達しました。「ソクラテスの弁明」には、こう書かれています。
「自分ではいかにも知っているらしく自惚れているが、その実、ほとんど何ごとも知らぬ人たちがきわめて多いことを発見する」と、述べています。要するに知っていることよりも知らないことの方が多いというのです。この事実を知る者がすくないともいうのです。
孔子にしてもソクラテスにしても、賢者ほど自分の実力を過信せず、謙虚に学んでいるのだということがよくわかります。「知らないことはないだろうかと追求する姿勢そのものが学びなのです」。
知らないことを多くしながら、大きな口をたたいてしまうことほど恐ろしいことはありません。「口は災いの元」知らない故に軽挙妄動に走り、大言をはいてしまいます。言葉を控え目に謙虚に過ごしましょう。良い休日をお過ごしください。
M&Uスクール受講生の皆さん夕方までご精進ください。学びは改めることにあります。私も今日一日、昨日の非を改め過ごします。孔子が尊敬しました、遽伯玉(きょはくぎょく)は昨日までのことをすべてご破算にして目の前の事から学びなおしたそうです。謙虚とはこのような在り方なのでしょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
☆2月5日の節分会・星祭り・厄除け開運「採燈大護摩・火渡り」法要への4斗樽のご献酒が大阪のO石材店様からありました。当日のおまいりの皆様へおふるまいをします。おまいりください。