明日を期せず

おはようございます。

新しい週の始まり今週も一歩一歩確かに歩みましょう。昨日福岡のTさんの同業の社長様が61才でお亡くなりになられたとコメントにありました。親しい方が亡くなることは寂しい限りです。
諸行無常(しょぎょうむじよう。この世の現実存在はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができないことをいう。)、私たちは、ついに死ぬものであります。あたかも、この17日は春のお彼岸の入り、ご先祖様へ感謝を捧げましょう。「春彼岸 菩提の種を 蒔く日かな」とは芭蕉の句です。
東日本大震災、熊本、大分地震で家、土地、周りの景色が変わり果てたことに呆然とした、という話をよくお聞きしました。阪神淡路大震災でも都会の姿ががれきの山、焼け野原に、私も震災後宮城県をお訪ねして呆然としたことを思い出します。人が亡くなることは身近にあったとしても、周りの景色がまったく別の状態、異次元の世界のように変わってしまう、正に諸行無常です。
ついに死ぬものであるからこそ生きていることが貴くありがたい。人生は短いがゆえにこそ今日の一日・唯今(ただいま)の一刹那(いっせつな)を何物にもまして大切に、悔いなく力一杯生きるべきです。
このような語を清厳宗渭(せいがんそうい。安土桃山・江戸前期の臨済宗の僧。大徳寺百七十世 )が元伯宗旦(げんはくそうたん)新築の一畳題目(いちじょうだいもく。茶の点前に必要な台目の道具畳と、客が座るに必要な一畳だけにまで切り詰めた究極の茶室で、茶室の中では最も狭いものですが、炉の位置や板畳を入れることで使い勝手を良くしたり、広く感じさせることも行われます)の茶室の下張りに、「懈怠(けたい)の比丘(びく)、明日を期(ご)せず」と書きのこしたそうです。これが裏千家の「今日庵(こんにちあん)」の由来だそうです。
「明日を期せず」とは、「人生畢竟夢(じんせいひっきょうゆめ)で、今日あって明日あるを期しがたい。さればこそ今日唯今(こんにちただいま)の一刹那(いっせつな)を大切にする、明日はわからないぞ」、という意味、常にポストにベスト。
怠(なま)けるのは、自身を修するため、高めるために生きようとする志、意欲が足りない、修する喜びに目覚めておらず、自分の心、気持ちでありながら心が人の評価、評判に奪われている。「こんなに懸命にやっているのに、と自分で限界をつくっている」、故に怠惰な気持ちが湧く。
日々祈り、学んでいますと、謙虚になり、己に磨きをかけることが楽しくなり、心がワクワクと愉快になる。今夜は「にんげん学」京都講座「老子を読む」。人に怨みを抱いたり、不愉快と感じるのは「徳を磨く事を忘れているからだ」と、今夜の老子は心を外に奪われるなと言う話。
皆さん自分を確かに自分の人生を怠らず歩みましょう。自分自身で決めた人生を大切に。素晴らしい一週間でありますことをお祈りいたします。
世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
☆昨日の夕暮れです。又日は昇ります。