taoに生きる

おはようございます。

「にんげん学」京都講座「老子を読む」ご出席の皆さんありがとうございます。予定があるから何ごともできる、予定はありがたい予定を確かにしましょう。
私たち人間は自然の「運行に従って生かされています」。生かされていると体感した人が予定を確かにします。老子のTaoは如実にそれを教えます。
社会の中で、私たちは暮らしています。だからこそ自然、Taoに従って、徳(才能・能力)を高めるべきです。
「自然、天は不仁、思いやりがない」、思いやりがないという言葉だけを聞きますと、心学は変だと思うかもしれません、「えこひいきしない」ということです。
仏教では「諸法無我(しょほうむが)」。法、教えには我ないから誰でも修めれば徳を高められる、教えとはありがたい。だからこそ私でもマイペースで磨くことができている。そのおかげで、人様から「必要とされるとき徳を発揮させていただける」。
昨日の老子79章、「怨まない」という話、怨まないと言うよりも「怨みをもたれない生き方をしなさい」と。それにはTao自然の道を歩むことだと諭します。
皆さんはお仕事を人様の為に一生懸命になされておられます。そこで評価されないこともある、契約が取れないときもある、それで、「怒るな怒るな」と老子は言う。
逆に考えればわかります。自分も人様を必要とするときと、しないときがあるはずです。「それが自然だ」「自然に目覚めよ」と。又「一年中必要とされてしまったら困りませんか?」「疲れ果てるよ」とも。多少は自分の欲でしょうと。
ケンカや怒りは、徳に目覚めれば起こりません、と教えます。もうすぐ桜が豪華絢爛に咲くことでしょう。しかし桜は一年に一度だけ咲くのです。花が散れば、だぁ〜れも桜を眺めに行く人はおりません、これは人に思いやりがないからではありません、それが当たり前なのです。
私たちは必要とされるときと、必要とされないときがあるのです。自然と私たちの違いは何でしょう。「自然はふて腐れない」「人間はふて腐れる」です。自然は葉を落としたときも、花が咲いているときも、「自身を養っている、徳を高めている」のです。だからこそ「季節到来」「花を咲かせる」のです。
人間はふて腐れて「自身を養わないでいれば、徳を磨いていなければ」、「季節到来とはならず」、「期待外れとなる」。
今日も徳を磨き高めましょう、桜は桜になるために日々養っています。私は私になるために修養します。良い一日をお過ごしください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
☆自宅に帰る途中に菜の花が。

☆懇親会場の「洋食・ぼんじゅーる」さんです。


一品目、和牛と大根のサラダ。

二品目、和牛のミートボール、デミグラスソース。

三品目、白身魚のムニエル、菜の花添え。

四品目、黒毛和牛のカツレツ、トマトソース。

マスターごちそうさまでした。来月もよろしくお願いいたします。