克己修養

おはようございます。

昨日は定期診察で病院へ、病院へ行くのは病んでいるからであります。しかし、病気と呼ぶように、気を病んでしまってはよくない。
何か損をしたり、失敗をしたり、病んだときがチャンスです。何がチャンスかといえば「克己修養(こっきしゅうよう)するチャンス」。いくつ何歳に為ったとしても「克己する気概がなければダメ」、人間が腐る。年齢を重ねれば重ねるほど、改めなければならない。頑固になったらそれでお終い。
淮南子(えなんじ)」(前漢の高祖の孫で淮南王(えなんおう)の劉安(りゅうあん。前 179?〜前 122) が編集させた論集。 21編。老荘思想を中心に儒家、法家思想などを取り入れ、治乱興亡や古代中国人の宇宙観が具体的に記述されており、前漢初期の道家思想を知る際、不可欠の資料)に、「遽伯玉(きよはくぎよく)、行年五十にして四十九の非を知り、六十にして六十化す」という名言がある。これは人間に通じてこないとわからないかもしれない。年をとるにつれて身にしむ言葉です。
人間は五十歳にもなればある程度の人生の結論に達する。五十にして天命を知ると、孔子が言ったごとく。と同時に、心のどこかに経験を積み、年齢を重ねると、何が心に生じるかといえば、「自らを恕(ゆる)す、肯定しようとする意思が働く、自惚れる」、このときに堕落が始まることを知ることです。
その時に「五十にして四十九年の非を知る」、今までの自己を一度否定することは、これは非常に難しいことです。
だが、過去の非を知り、自分が自分に結論を下すということは、新たにそこでやり直すことであり。五十になってやり直し、六十になればなっただけまた変化する。七十になっても化する、人間はいくつになっても新鮮溌剌、新たにしていかなければならないと、待合室で自分の老齢を省みて、周りの同年齢の皆さんを拝見して、よし、と新たに思うことでした。
今日も昨日までの自己の非を知りやり直して歩みましょう。充実した一日をお過ごしください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
☆昨日の夕空です。自然には心が和み、明日への新たな気持ちが湧いてきます。