時習する

おはようございます。

昨日は久しぶりにM&Uスクール受講生の皆さんにお話をさせていただきました。やはり教えることは学ぶこと、自分に足りない所を教えてくれます、ありがたいことです。
論語の冒頭に時習が説かれています。これは大変な事を示唆しています。人生は今の連続ですから、今が充実していなければ、豊かな人生とはなり得ないのです。学ぶ姿勢を持っていれば、失敗を学びのチャンスとして喜びを感じるのです。失敗の悔しさが本当であるのならば、修正し学び直す喜びとなるからです。
先日書きましたが自反する、何故自反が大事かと言いますと、失敗しますと、自己が分裂します(自分を見失う)。自己を分裂から救うには、先ず自己に反ることから始めなければいけません。失敗に止まっていては修正どころの話しではなく、分裂しっぱなしで、ウロウロする人生とするだけです。
失敗があれば、自ら反ることが人間哲学の厳粛な根本理法です。何故か、自己に反らなければ、それは自己に反(そむ)くことになり、せっかく学んだことを自ら放棄することとなるのです。
正しい考え方は自分の内部に第一原因を発見することでなければならいのです。
だからこそ時習が大事となるのです。時習の時は「時々ではなく」、「これ」あるいは「その時その時」の意味です。眼前に何か問題を感じたときが「学べば即座にその機をとらえて活学する」これが「時習」です。
この時、時を捕らえ学ぶようになりますと、その人の「進境」(進歩・上達の度合い)が大いに違ってくるのです。目の前のこと、時世に叶った行動も目の前から学ぶ姿勢を大切にするか否かであるのです。
明日は下関・愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」祈りも大いなる自反の行動です。桜も散りました、桜も自反しているのです、そして又翌年素晴らしい花を咲かせることができるのです。ご一緒に祈りましょう。お待ちしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。
☆町のそこここに、美しい花が、皆さんの心が嬉しいですね。皆様ありがとうございます。