心の主となれ

おはようございます。

今朝は強い雨の下関です。そんなに冷たさは感じられず暖かくなりました。しかしじっとしていますと、ひんやりとしますので用心しましょう。
釈尊の最後の教えが「自灯明、法灯明」です。紹介します。
「弟子たちよ、おまえたちは、おのおの、自らを灯火(ともしび)とし、自らをよりどころとせよ、他を頼りとしてはならない。この法を灯火とし、よりどころとせよ、他の教えをよりどころとしてはならない」。
そして続きます。「わが身を見ては、その汚れを思って貪(むさぼ)らず、苦しみも楽しみもともに苦しみの因(もと)であると思ってふけらず、わが心を観ては、その中に「我」はないと思い、それらに迷ってはならない。そうすれば、すべての苦しみを断つことができる。わたしがこの世を去った後も、このように教えを守るならば、これこそわたしのまことの弟子である。」
ご相談に来られる方の多くの方の悩みが「人と比較してのもの」を感じます。人生は自分を豊かにすることです。人と比べて心貧しくするものではありません。
自らを灯火とせよ、と言う教えは、「人と比べるな」という戒め。出来不出来、遅速、上手下手を人と比べるな、自分の豊かさを求めよ、己を養えというのです。でなければ、どんなに正しい教えを受けたとしても、己の「我(が)で、身を滅ぼすぞ」との戒めです。人生を「己の思い通りにすることではなく、道理に沿って豊かな人生を営むこと」です。ここを間違えてはいけません。
豊かに歩む人生、苦しみとする人生共に「己に因がある」ことを確かにしなさいと最後の教えを説いたのです。
教えの要は「心を修めることにあります」。我欲、思い通りにしたいという我を抑え「己に克つこと」です。教えは「心(我欲)に従わず、心の主となれ」と教えるのです。失敗はすべて己の心が生みだすことを知ることです。己が生みだしたからこそ「修正が叶う」のです。
何度も何度も苦楽を味わうのが人生、時に正しい教えを捨てては、永遠に立ち直る術を自ら捨て去るのです。正しいと思い込み私は何度も失敗を味わっています、時に教え(法)に戻り、修養し直しています、それが克己です。私の心は私のものです。法に従って目覚めることができたのです。
我とは、人と比べる心です。それは慢心、傲慢さから湧いて出る心です。負けたくないというエネルギーを正しい法に従って発揮することで、己の心の主となることができ、心身共に、物心共に豊かな人生をもたらすことを知るべきです。
我を出し、己の心を騒がせることなく、法に従えばこそ静かで確かな闘志に反ることになるのです。せっかく潜在意識の中に在る克己(仏性)を虚しくしないことです。
今夜は「にんげん学」小倉講座、明晩は神戸講座、心学も自己に目覚める学び、外に心を奪われたままいくら学んだとしても力とはできないのです。共に会場でお待ちしております。今日も素晴らしい一日をお過ごしください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。
愛宕寺、信者のWさんに昨日周南市、大道理地区「芝桜の里」にお連れいただきました。長閑な里に一時現れた異次元の世界のようでした。Wさん、ありがとうございます。





Wさん、ありがとうございます。