物事に対する態度

おはようございます。

今朝は曇りの朝ですが、爽やかな風が窓から入ってきます。CMA様主催「リーダーシップ実践禅寺合宿研修会」一泊二日ご参加の皆さんありがとうございます。ピンと感じた一つ、これだと思った一つを日課として修練ください。日課の中に取りこみ繰り返すことが修養の秘訣。修養のために時間を割いてということをしますと継続できません精進ください。次はご自身で心華寺に修養にお出かけ下さい。皆様のご活躍ご発展をお祈りいたします。
人生には「良いこともあれば、悪いこともあります」。「不幸の後には幸福が訪れ、幸福の後には不幸がやってくるものです」。しかし、その転換がいつなのかがわかることはありません。
また、「これまで正しいとされてきたことが異常とされたり、善だとされてきたことが悪とされるようになることもあります」。
こうしたことの道理がわからぬまま、私たちは生きているのです。世の中には絶対ということはないのです。
ですから、私たちは、自分のやり方が正しいとして他人にそれを無理強いせず、自分が完璧だとして欠点がある人を拒むことはせず、自分は賢いとしてそのことを他人にひけらかすようであれば、品格が問われます。
人生には不測の事態がつきものです。禍福はいつくるか予測できるものではありませんが、どちらが訪れるにしても自然体で迎えたいものです。この世は何事も縁、縁は自分に必要だからもたらされると考えた方がいいのです。なんでこんなことが?とは考えないほうがよろしい。ですからポストにベスト。
不幸の後には幸福が訪れ、幸福の後には不幸がやってくるものですから、「生きていくうえで自分は幸福なのか不幸なのかとあまり気にする必要はないのです」。「表面的なことに喜んだり悲しんだりせず」、それを「自然体で受け入れるようにすべきです」。そうすることが、「心が惑わされることなく」、現実をしっかりと見ることができるように次第になっていくのです。
私は幼少年期から比叡山修行時期は、ある意味で弱者でしたので、受け入れざるを得ない心理状態でしたので、お陰様で様々な体験経験をさせていただいたお陰で、現実をしっかり見るということを身体で知ったようです。
実際、私たちが影響されるのは「物事そのものよりも、その物事に対する自分の態度です」。
物事に対する正しい態度とは、冷静に落ち着いて、しっかりと地に足をつけて見定めることであり、一時的な感情で喜んだり悲しんだりしないことです。
裕福だからと傲慢にならず、悲しくても気を落とさない。感情を抑え、平常心を保つように心がけることです。何事にも限度があることを知らなければ、極端から極端に走るようになります。自由な人間性の追求と身勝手な言動との違いは、考え方がほんの少し異なるにすぎません。怒りや不安も度が過ぎると、他人を傷つけるなど社会的に問題のある行動に出る人もいます。楽あれば苦ありと言われますが、享楽的な生活をどこまでも追い求めると堕落してしまうか、少なくとも生活に悪影響が出て来ます。度を越した喜怒哀楽の感情は心身を害してしまうのです。
周囲の環境が変わらないか、あるいは多少の変化しか認められない状況ならば、自分の考え方を変えることで不安を少なくし、楽しみを多く見つけるように努めることです。長期的な考え方をすれば、目の前の境遇に惑わされず、これを客観視できるようになります。些細な利益に目を奪われてはなりません。その誘惑に負ければ心身が蝕(むしば)まれます。長い目で物事を見るように心がけることです。
どのようなときでも、人生に対して積極的に、楽観的に構えていれば、必ず何とかなるものです。その要道がポストにベストです。そうすることが素晴らしい縁と出会い運がよくなるのです。今日は休日、楽しくお過ごし下さい。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
☆CMA様主催「リーダーシップ実践禅寺合宿研修会」ご参加の皆様ありがとうございます。人生一期一会、お元気に楽しくお仕事ください。



昨夕の景色、自然はどんな色でも素晴らしい。




NPOこころのはな「ひきこもり女子会」のご案内です。