失敗に感謝

おはようございます。

6月後半に入ります。じっくりと歩んでまいりましょう。昨日は「父の日」皆さんお父さんに、ありがとうございます、を言われたことと思います。私の父はずいぶん前に他界していますので、仏前に向かい感謝の祈りを捧げました。親孝行は幸福な人生の源泉。
昨日、八幡浜のOさんご夫妻がおまいりくださいました。嬉しいですね、遠いところからわざわざ、幸せなひとときでした。
私は人生を「ラッキーだと思っています」、ラッキーとは「幸せ」ということです。ですから、日々のお勤めの後に必ず「ありがとうございました」と何回となく心を込めて言います。
以前人生を面白くないと思っている時代がありました、そのときは、何で何で、と世間を憎み、周りに不平と不満ばかり、これでは福の神は寄ってくるはずもないのです。自ら縁を憎み、拒み遠ざけていることを知らなかった。愚の骨頂。
初めて会う人に過去の固定観念で出会い、まったく目の前の人を見ていなかった、見ようともしていなかった、過去の人と、新たに出会った人はまったく違うのに、自分の心が、頑固で若いのに古い過去に縛られていた。
字の旁(つくり)や部首とはまったく納得のいくもの、今更ながら感動。「くにがまえ」は「口」このように書きます。くにがまえとは「囲む、巡らす」や国の意味などからわかるように「一定区域をなす土地を表わす」、「人間の無意識の領域」でもあります。このことから見ますと固は「考えが古い、古くなっている、自分の考えにこだわるから硬くなる」、又「困」は「木の成長が止まる、伸びない、限界」であるから現実に対応できずに「困った仕儀(事の成り行き)に至る」。
頑(かたく)なになり、困るのは、せっかく新しい縁に出会っても「自身の無意識の領域」が「相手を、出会いを否定している」から、新たな進展、発展がない。感謝ができず、固定観念の心理状態で出会い、縁を縁としないことはよろしくありません。出会いから、喜怒哀楽を学ぶのです。喜怒哀楽を押しつけられるのではありません。縁は「人生のお手本」。
失敗に感謝できるようになったときから、間違いを間違いと気づき感謝できるようになったときから、出会いは「ラッキー、幸せなこと」と実感できるようになったのです。それから、「ありがとうございました」です。
失敗に感謝できない、間違いに感謝できないのは、「慢心」。慢心とは誰にでも起こりえること。「相手によって言葉を聞き入れられなかったりすることが慢心」です。
これが又人生を貧しくさせる、相手によって態度が変わることほど、親しまれない行為はない。いつも書いていますが、社会、世界は目の前、「言葉の大きさに惑わされてはいけません」。言葉に惑わされると、「目の前の人を否定しても次があるという大きな過ちを犯す」。人生は目の前の一歩が繁栄の一歩であるのです。
現実の自分自身の目の前の人を侮るようでは、いくら立身出世を望んだとしても、果たせる道理はありません。なぜか、目の前の階段を一歩ずつ上るのが人生だからです。
そして、目の前の人を嫌いながら、いい人と出会いたいと考えても、新しい人と出会ったとしても、またぞろ固定観念で出会うからです。感謝がないということは恐いことです。
感謝ができない人はいつも「過去の亡霊に苛まれているのです」。幽霊の正体見たり枯れ尾花。固定観念で新しい人を見てはいけません。心がすべてを生みだします。心を通して世間を見ていくのです。私は私の心を心とするために「教えを心とすることにめざめました」。
今を感謝しましょう。目の前の人に、物事に感謝しましょう。そしてありがとうを言いましょう。私はそれを言い続けて素晴らしい人びとと出会いを重ねています。素晴らしい1週間をお過ごし下さい。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
☆昨日も前川の夕景がきれいでした。


今朝の気温は20度、暑くなりそうです。

☆明日開催します。

☆7月2日は皆さんの愛で法要が執行できます。