不幸の後に幸福が

おはようございます。

今朝はゆっくりさせていただきました。「にんげん学」小倉講座、人生充実の法「老子を読む」ご出席の皆さんありがとうございます。日々修養、日々関所、昨日も老子を読み、しみじみと感じる、今日の為すべきテーマを知る、充実できます。
昨日の老子は「良いこともあれば、悪いこともある」「不幸の後には幸福が訪れ、幸福の後には不幸がやってくるものです。しかし、その転換がいつなのかがわかることはありません」「禍(わざわい)は福の倚(よ)る所、福は禍(わざわい)の伏(ふ)す所」と。
このようなことも、「光ありて輝かさず。才知をギラギラと光らせない」。老子の教えは、老子の教えはというよりも、心学はとてもわかりやすいものですが、いざこれを実践となるとなかなか、だからこそ日々の修養、どうあるべきか。
「禍福はあざなえる縄のごとし」この転換点がわかりません、だから老子は日常の生活態度をどのようにするべきかを教えます。
「知識や知恵の光は、人生にとって、好ましいものだ。しかし、その光は、あまりにもギラギラ光るものであってはならない。なぜであろうか。
禍は福の倚(よ)る所 福は禍(わざわい)の伏(ふ)すところ
不幸だと思っているところに、幸福が寄りそってくるし、幸福だと思っているところに、不幸がひそんでいるものだ。幸福と不幸は表裏一体である。二つは切り離せない。が、知識とか、才知というものの不幸なことは、不幸な一面しか見えず、その不幸な状態を早く脱出するように、画策する。また、幸福なときには、幸福以外に目を向けることができずに、この幸福がいつまでも続いていくように錯覚する。
才知の判断は、とかく、ちっぽけな正義感で、残酷に人を裁く。
才知の鋭い人間は、ひとたび頭の中でこうだと思うと、その一面的な判断を容易に変えられず、あれこれとはからいをたてて、一見もっともらしく人をまどわせ混乱させることがある。この「まごころ」のこもっていない発言で、命を落とす場合もある」。
いかがです、この老子の教え、謙虚にありましょう、少ない才知を固定観念にすれば怖いということです。日々ポストにベストが一番。
今夜は「にんげん学」神戸講座、対人関係の指南書「論語を読む」。人生は物事への対応・応対で大きく変わります。会場でお会いしましょう。今日も楽しく修養の一日をお過ごしください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。
☆ご出席の皆さんありがとうございます。遅くまでありがとうございます。








☆7月2日、皆様の愛をお待ちしております。