道と名からの解放

おはようございます。

今日は朝寝坊させていただきました。宇治にいて久しぶりの朝寝坊。「にんげん学」京都講座、人生充実必勝法「老子を読む」ご出席の皆さんありがとうございます。京都講座会場は四条通から近く、四条通では祇園祭の鉾建てが昨日から始まり、京都は夏本番、釘一本使わず、縄だけで建てて行く、縄目の美しさを味わって下さい。
九州北部はようやく晴れ間が出て避難解除が出されたようです、これからが又大変なことでありましょう。改めましてお見舞い申し上げます。
京都・大阪は老子を再び学び直し嬉しいですね、学びは実践をすればするほど必要性を実感、物知りにならないのが心学を修めている人の特徴であり素晴らしさです。老子は「人間が何かの真理を本当につかもうとするなら、体得しなければダメだ」といっています。
真に学び実践を大事にすると柔軟性を増し、しなやかになり人間性が自然豊かになるのです。昨夜の京都はコンチキチンの音色が涼しく感じました。
何が無くても景色や自然の木々の生長、移り変わりを眺めているだけでも嬉しくなります。物やお金という呪縛に囚われず、小欲知足の暮らしが在ることが嬉しい。現実に感謝をして心という器を虚しくしていれば、自然向こうから何ごとも入ってくるのが、これまた嬉しい。自分の心にあっぷあっぷしていれば何一つ入る余地がなく、一層アップアップとなるのです。
「道の道とすべきは、常の道に非ず。名の名とすべきは、常の名に非ず」。心地良い響きの第一章です。
老子第一章を読み、できの悪い私が「これでなければというとらわれから解放された一瞬でした」。道を学び、道の示すとおりにできない私、どんなに悩み苦しんだことか、しかし、夢がありましたので、実践を忘れなかった。実践し続けたら、「オンリーワンの道ができた」。
少しの褒め言葉や成功で、斯波最誠という名にこだわり「こうでなければ」と窮屈感から解放された一瞬。
倒産する会社や自滅する人は、「頑(かたく)なにこれでなければ」と固定観念に固まり「自分自身で不自由に生き」ダメにしてしまう。言葉の呪縛から解放されましょう。
老子、第一章を紹介します。
「これが「道」だとはっきりと説明できるようなことは、本当の意味での「道」ではありません。これがそのものの「名」だとはっきり言えるようなものは、本当の意味での「名」ではありません。「道」も「名」も頭で理解できるものではなく、心で感じるものなのです。
 まだ「名」が無いものこそが天地の始まりでした。そして、その後に「名」を有したものが万物の根源となったのです。
 したがって、常に無欲でいれば、万物の微妙な始まりの様子を見ることができるのです。逆に、欲が有ると、万物が終わった後しか見ることができないのです。
 そもそも、「無」も「有(う)」も元をただせば「道」という同じところから生まれたもので、呼び方が違うだけです。
 ただ、どちらも極めて奥深いものであり、ここからさまざまな微妙なものがうまれてくるのです。」
何度もお読みになり、味わい、心で感じとってください。きっと解放され、自由になります。来月の京都講座は8月7日(月)です。今日も小欲知足でゆったりと過ごしましょう。良い一日でありますよう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
祇園祭の鉾立





昨夜の「洋食・ぼんじゅーる」さんの美味しいお料理です。
一品目。黒毛和牛のしゃぶしゃぶ、しょうがポン酢。

二品目。舌平目のムニエル、ロースハム添え。

三品目。黒毛和牛のミニステーキおろしソース。

四品目。ハンバーグ、サラダ風、ベーコン入り。

マスター今月も美味しくいただきました。来月もよろしくお願いします。ごちそうさまでした。