自分の欠点を責める

おはようございます。

毎日、寺にいる同士が共に楽しく暮らしています、共にこそが利他。人間の能力はデコボコだから良い、だから支え合うことができ、面白くもある。きれいな石垣を見ても解るように、小さな石が大きな石を支えている、だから美しい。大きい石ばかりではきれいに積み上がらない、俺が私が一番といっているような会社や仲間では歴史を積み上げることはできない。世の中は上手くできている。支え合わなければ崩れることくらいは誰でも知っている、言葉にせずとも率先して支え合う、それが仲間。
滑ったり転んだり、だからこそ支え合う喜びも有り、感謝もできる、感動もある。
不足を見るより、人様の足りないところがあるから自分の出番がある、感謝しなければ、目の前は見えるが後ろは見えない、誰でも見えるところと見えていないところがあるものだ。
論語に「其の悪を攻めて、人の悪を攻むるなし」(顔淵(がんえん)第12)と、論語も長年皆さんと共に学んだお陰で、論語読み論語知らずを少しだけ脱却しそうな気配、気配だけ! 共に語り合い学び合えることは喜び。学びは己の足らずを知る、これが良い、謙虚にならなければと戒めてもくれます。そして心身を鍛えてくれる、生命力を鍛えてくれる。
意は「人の悪い点を責める余裕があれば、自分の悪い点を戒める」。経営者の方や上司の方が、社員の皆様や部下の方が、欠点を修正しない理由は、直して欲しいと思いながら、相手に対する態度がよろしくない、責めてしまう。「欠点をあげて攻撃しても修正しないのです」。多くの人は自分の欠点を欠点だと気づいていないのです。だから「寛恕」の心で接していくことが「気づきをもたらすのです」。心学では何度も何度も「利他」「恕」「寛大」「寛容」を説く。
「自分の欠点を容赦なく責めて、人様の悪、欠点には寛大になる」。これが「人間関係を円滑にする秘訣のようです」。寛大になるということは「補う、サポートする」ことです。
人生を虚しくし、人間関係を壊す一つが一時の怒り。そのようでは周りから人は去り、人心を失う。
自分の心の悪を修めて行く方法が「自分の心の悪を攻め、人の欠点に寛大になることにようやく気づきました」。人間とは馬鹿な生きものです(私のことですので悪しからず)。人様に話をさせていただいているだけで、できるような、できているような錯覚になる。気をつけなければ、この錯覚が人を責める。七十にして気づく。
蝉の幼虫を見て脱皮しなければと反省。道理に即し自身を正し楽しく愉快に、そして矩(のり)を超えず自由に暮らしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
☆昨夕の風景。

今朝の風景。