立場で立場を危うくする愚

おはようございます。

リーダーの言葉に何か真実味に欠ける感が何年も前から感じているのですが、いよいよ酷い状態です。私たちは言葉を発するとき、年下の方や、後輩の方、部下の方に対したとき一番気をつけなければいけません。それは「油断するから」です。
油断しますと、言わなくても良いことや、暴言、論理にないことを平気で言ってしまうという失敗を招く危険が大きいのです。戦々恐々、薄氷を踏むが如くとは言いませんが、「口は災いの元」であることは確かです。
また、昨日も書きましたが、欠点を指摘したり、人の失敗に乗じて人を云々することにも気をつけるべきです。何故かと言いますと、私たちは「言葉に囚われる、執着する」からです。欠点や、失敗を指摘するばかりになって、「自分の人間的成長」「人格形成を怠ってしまう」大きな要因となるのです。
欠点を指摘したり、失敗を指摘した人は自分が優れていると錯覚、勘違いをして、態度が横柄になったり、人を偉そうに批判、中傷をしていますと、第三者の方は、欠点を指摘する言葉、批判の言葉を聞いている人は、今度はその人に嫌悪感を感じ、結局は指摘している人が非難をされるという事になるのです。
批判、非難の言葉を善言と考えてはいけません、言っている言葉は正しいかも知れませんが、非難、批判の感情から発せられる悪気は、聞いている人の感情を騒がせ、嫌悪感を抱かせるのです。
孔子は「賢を見ては斉しからんことを、不賢を見ては己を省みる」と。「人の振り見て我が振り直す」人間にならなければいけません。
リーダーと称されている人は、問題が指摘されたり、煙が立てば、言い訳せず、問題となったことに恥を知り、潔くすることがリーダであるということを自覚すべきでしょう。報道を拝見し、自分に置き換え、人を云々する前に己を省みなければと昨夕の夕座で懺悔し思う所でした。
皆さん学べば「師が現れ」、学ばなくなれば「非難が来たる」ことをお知りください。慢心は人生の死を招くのです。生涯学びはだからこそ大事です。聖典を日々読誦するのも己を戒めるためです。
明日午前10時より下関・愛宕寺ご開山「大善心院大律師全信法尼33回忌法要」を勤めます。お暑い中でありますが、縁の皆様是非ご参拝ご焼香くださいますよう。よろしくお願いいたします。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。
☆玄関の花を変えました。