多くを望まない

おはようございます。

昨日は長崎原爆忌でした。お亡くなりになられました皆様には心よりご冥福をお祈り致します。被爆されました皆々様のご苦労を思いますと言葉もありません。核兵器根絶、不戦を誓います。
昨日は又博多で竜巻、突風が吹き、惨事があり、お見舞い申し上げます。私たち人間は謙虚にならなければいけないようです。
夢を持ちながら夢が叶わない、少しの成功と思われるものを手に入れながら継続できない。このような人はやはり、我欲や慢心が強いようです。
菜根譚(さいこんたん)、前集63項に「多くを望まない」として。
「欹器(いき)(満杯になると倒れる器)は水を満たしてしまうと倒れる。
撲満(ぼくまん)(土器でできた貯金箱)は空のうちは叩き壊されることはない。
これと同様、君子というもの、無心を望んで物欲を望まず。欠乏を望んで充足を望まないものだ。」
いかがです、お読みになり、感動しませんか?。しかし読んで感動したとしても実践できなければいけません。学び、心学は物知り顔して話すことではなく、行動することにあります。
名前を忘れてしまいましたが、ある科学者が残した話。「挫折からの復活は、船が転覆した状況から学ぶことができる。船底に吸い込まれて溺れ死にするのを避けるには、水に落ちるときに落下する勢いを借りて身体を丸く縮め、沈みきったところで今度は自然に身をまかせて水面に浮上することだ。人生が逆境にあるならば、客観的事情に逆らおうとしても、事態はますます悪化するばかりである。逆境の中で最も大切なことは、その環境に順応しながら密かに力を蓄えることだ。」
いかがです、なるほどと、うなってしまいます。何もないときに学び、何かあったときにじたばたせずに身を任せて、そこから学ぶ?果たして、できるかどうか?。
客観的状況を見ずに、水に落ちてから必死にもがいても、事は思い通りにならず、遂には溺死してしまうということです。
ここに心学、心を練る重要性があります。老子の教え、不言が大事です。私たちは言葉に囚われ現実問題を客観的に見られなくなる愚を犯すのです。
知ったからできる、教えたからできるという愚かなことを固定観念にしてしまっているのです。
「もがかないこと」すなわち「無為(むい)」、「必死にもがくこと」すなわち「有為(うい)」。もがかない者が助かり、必死にもがいた者は死んでしまう。もがく人を世間でよく見受けます、知識人、物知りといわれている人です。
「何もしないことが何かをしていること(無為自然)の不思議なところです」。
何をするにしても、ある程度やるところとある程度控えるところがあるのです。何にでも手を出そう、何でもわかっている、教えたからできる、などと考えている人は、最終的に何もできていないことに気づかねばなりません。
仕事はなおさらのことで、儲かるところもあれば、損するところもあるのです。攻めるところもあれば、守るところもあるのです。
何でも売ろう、奪おう、思った通りにできると欲張りすぎると、とんでもない目に遭うのです。
「無為」には、一時的に「何もしない」ことが長期的には「何かをしている」ことを意味しているのです。また、表面的には「何もしない」ことが実際に「何かをする」ためである場合もあるのです。皆さん日々心を練ること、事上磨錬。今日も現実から学び、もがかないようにしましょう。もがくのは有為、偽です、浅知恵です。
明日午後2時より4時まで、NPOこころのはな「ひきこもり女子会」を開催します。お待ちしております。予約は不要です。途中参加、途中休憩自由です。会費:200円いただきます。ご連絡先:0774-45-5561。お待ちしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
NPOこころのはな「子ども食堂」ご来店ありがとうございます。来月の開店日9月6日(水)と9月13日(水)の二回です。ご予約をお待ちしております。0774-45-5561。小学生以下は無料。中学生以上保護者の方は300円ちょうだいします。