目に見えない精神

おはようございます。

今夜は人心掌握法・対人関係の指南書「にんげん学」神戸講座「論語を読む」に出かけます。神戸地区の皆さん楽しみに出かけます。明日から下関・愛宕寺に入り明後日の愛宕寺「月例・幸福開運祈願祭並び大数珠回し地蔵盆法要」の準備です。
日々の日課は先人が考えて下されました。一日を確かに過ごせる上、人間としての修養ができて、世の中のお役に立てる、こんなにありがたいことはありません。一日何をしようかと茫然自失とならず迷わずに暮らせる、感謝して余りある。こんな風に考え感謝しておられますか皆さん、当然感謝しておられますよね。その上お給料もいただけるのですから、万々歳。
私たちは、文字で書かれた書物は読むことはできます。文字を用いない書物は読むことができません。ギターは弦を張ったギターは弾けても、弦のないギターは弾くことはできません。
目に見える物しか信じず、「目に見えない学ぶ精神がわからなければ、学びや音楽の神髄はとうてい理解できない」のです。
目に見えない学ぶ精神のわからない人は日課は繰り返しですから、日に日に倦怠感、ダレがきて、人格を豊かに、そして能力を向上させる日課であるにもかかわらず、堕落の道をたどってしまうことに心しなければいけません。
能力を開発するには、第一に、「自分で学ぶ姿勢を保たなければならない」。第二に、「日々社会の実践を通して自ら鍛えることです」。
社会人として生きて行くには、不断の学習と仕事の実践を重ねることで基本的能力を引き上げていくのです。漫然と日課を過ごしていく人と、自ら学ぼうとする人との差は日ごとに広がっていくのです。学ぼうとしない人はあるとき会社に行って会社がなくなっているという憂き目に遭うか、自分にこの会社は合わないと会社を辞めてしまうのです。
社会は学校のようなものであり、「実践から教訓を吸収すること」であります。学校のように試験という途中のチェックがありません。だから一層学ぶ精神が大事です。
人生は学校で学んだ机上の世界ではとてもとても足りません。先ず生活の知恵も身につけなければならず、生きていく、暮らしていく、そのものが最も厳しい教師であり、学校で学ぶような教育法とはまったく別ものです。
生活、仕事を通じて学ぶ教育方法とは、まず挫折を味わい、屈辱感を感じ、優越感を感じ、又奈落の底へ、そこから教訓を汲み取り学ぶというものです。この精神世界を体感してこそ真の学びが理解できるのです。
自分がどのようにして間違い、過ちを犯したのかを理解し、「その中から道理を悟る」という方法を知らないため、「間違いを避けようとしてひたすら現実から逃げる人が多いのです」。
また、そのような人はこの「逃避行動そのものが大きな間違いであることもわからないのです」。
間違いを犯しながら、そこから教訓を吸収できない人もいます。そういう人はいつまでも同じような過ちを繰り返し続けるのです。
現実の社会で聡明と認められたり、リーダーとなっていく人は、自らが過去に犯した間違いから教訓を汲み取れる人物なのです。自己の失敗から教訓を正しく引き出すことができる人は、その後の生き方が良い方向に変わっていくのです。
日課を大切にしましょう。今夜は「目に見えない精神を学ぶ」、人心掌握法・対人関係の指南書「にんげん学」神戸講座「論語を読む」です。神戸地区の皆さん会場でお目にかかれるのを楽しみにしています。今日も楽しい自己究明の一日をお過ごし下さい。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
☆昨日の夕景。