思いやりのなさで人心が離れる

おはようございます。

毎日多くの反省をします。人様とお話しさせていただくときに注意していることの一つ「教えている」という思いを持たない、師友であると考える。
謙虚さを保つ、私は人の上に立っているという気持ちはないのですが、年齢が年齢となり、職業的に皆さん礼儀を尽くしてくださいますので、謙虚な気持ちを忘れないようにしなければと、懺悔文を唱え言い聞かせています。
以前は、教えている、という思いが強くありました、それで人を傷つけ失敗を多くしました。人様を傷つけてしまったことは取り返しがつかないと恥じています。
この年になって、二度とこのような愚を犯したくないと出会う人、お話をお伺いする人を目の前にして、「共に語り合い答えを出していく」ようにしなければと考えています。でなければ「人は育たない」と思うからです。
遅きに失したとは思っています。言うだけでなく言行一致をして誠実でありたいと願い。人様やご相談にお出でいただいた皆様の手本になることが晩年の使命かと思っています。
いくら言葉を重ねても導けないということは、聞いている皆さんが私の生き様に言行一致を感じず、共鳴しておらず、言ったことをしないのだとようやく認められるようになり、これまでの在り方を振り返ると、汗顔の至り、冷や汗が流れます。正しいことを言いながら、鬱々と楽しめない日々を送るような愚行を二度と犯さないようにしなければと反省です。
行動していない人を責め、一層己の傷を広げ、日々を楽しめていないことにも気づけない愚か者になっていました。人様を思う、思いやりの足り無さで人心が離れ、言うことを聞かなくなっていったのです。善責めるなかれです。
肝臓を病めば目も患うようになり、腎臓を病めば、足がむくんだり、体の動きが重くなったり、病気は目につかないところから発症しますが、やがて目に見え外部に現れてくるのです。
これと同様に、対人関係に障害が生じたとき、己の対人関係の思いやりのまずさが生んだことを思うことだと肝に銘じています。真実、学んでいる者は、教えを説いたり、指導したりした場合、思わしくなければ、自分の過ちであると気づかなければならないことに、ようやくに目覚めることができたようです。
教えた相手が、教えたとおりにできなかったとき、それを責めるようでは、己の過ちをさらに重ね、愚かさをさらに深めるような行為だったのです。
教え子という言葉がありますが、教え導く人はまさしくわが子、わが子を非難、批判しては心が離れていくばかり、心が離れてはどうしようもないのです。わが子は分身、わが身でもあるのです。
今日から心華寺では一泊二日「M&Uスクール」が開校されます。受講生の皆さん足下のお悪い中ご苦労様です。明日夕方までご精進ください。
今夜は人生充実必勝法「にんげん学」小倉講座「老子を読む」、皆さん老子のように無為にして人生を楽しみましょう、今夜は皆さんとご一緒に学び直します。会場でお待ちしております。
皆様の一日が充実した一日でありますことをお祈りいたします。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。