私利私欲に振り回されない

おはようございます。

新しい週の始まりです、じっくりと今週も歩みましょう。人間そんなに器用ではありません(器用な人もありますが、器用貧乏などという言葉もありますので、器用は余り望まないほうがいいようです)。頭の中ではあれやこれやを思うことが出来ます。それが何でも叶うかと言えば甚だ?であります。いろんな事を見て現在の自分にプラスすることは大いに結構なことですが、迷いの元としてはいけません、注意しましょう。あれやこれやと迷うのは一つのことに集中できていないことでもあります。
要するに「私利私欲に振り回されない」ということです。経典に「欲望は大きな苦悩の源であるのは間違いがないが、欲望がなくなっても苦悩が収まることはない」。だからこそ、お釈迦様はこう思ったのです。
「いずれにしても、苦悩からは逃れられないのであれば、落ち込まず、自分を見捨てず、固執せず、身を持ち崩さず、ひたすら修行に努め、易しいところから難しいところに向かうのがよい」。
救われます。否私は救われました。
私たち凡人は裕福であることを望みます。しかし、貧しい(物質的に)生活であっても愉快に暮らすことはできます。それどころか、裕福な生活のほうが豊かで楽しい生活に悪い影響を及ぼすことが多々あります。なぜならば、財貨が増えるに従い、さらなる欲望を募らせるようになり、徐々に心が貧しくなり、暮らしを楽しむことではなく、蓄財が目的となったり、もっともっと稼ぐようにと人を責め立てて、ちっとも心静かに暮らせず、楽しい人生とはならず、不足の日々と化すのです。
教育者でもこのような人がおります。教えは心豊かに過ごすための教えであるにもかかわらず、教えを責め立て、少しも教えの示す豊かさとは違って、心貧しくしている人です。また親の過干渉が子供を破壊するのも同じです。勉強は心豊かになるためのものであって、他の子供より成績が良くなることや、有名校に入るため責めることではないのです。私はこのようになりたくないと、御仏の教えを日々唱え戒めるのです。
人を責めるようになりますと、人心が離れ、社員や周りの人は冷ややかな眼で見るようになり、面従腹背が増え、給料をもらえるうちは、言われたことだけをして、積極性も何もなく、知らないうちに倒産の憂き目に遭うことになりかねないのです。自身も人も壊してしまいかねません。こうなると、物質的に豊かな暮らしが一時的に実現しても、愉快な日々は遠ざかっていくのです。
このようには書いていますが、お釈迦様は「人間は捨てたものではないよ」と教えます。「人間の本能には私利私欲を求める欲望に対して抵抗する力もある」と教えています。「仏性・慈悲心」です。
「私利私欲を忌み嫌うことで、正しい道を歩もうと自浄作用が働くのです」。この道を揺るがずにまっすぐに歩む者になりたいと日々反省しています。横道にそれて歩む者を世の中では小人と呼んでいます。
このようなお釈迦様のお話があります。「ある国の大王がお釈迦様の素晴らしい容姿を見て、その国の大臣に取り立てようと声をかけたのです」。
しかしお釈迦様はこのように答えられたのです。「諸々の欲望には患(うれ)いのあることを見て、また出離(しゅつり)こそ安穏であると見て、つとめはげむために進みましょう。わたくしの心はこれを楽しんでいるのです」。
少しでもお釈迦様のようにありたいと願い私は日々楽しみながらポストにベストを尽くし歩むのです。
今夜は人生充実必勝法・克己の学「にんげん学」京都講座「老子を読む」。老子のTaoも自然の理を説きます。会場でお待ちしております。
お釈迦様も老子も「足ることを知る者は、身貧(みまず)しけれども心富(こころと)む」と。皆様の新しい週が慈悲深い一週間でありますことをお祈り致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
☆昨夕の夕景です。