初発

おはようございます。

大型台風が近づいています、何事も無いことを祈ります。
二日間の「にんげん学」講座から昨日帰りました。一宮、東京地区の皆さんありがとうございます。来月もお元気にお目にかかりましょう。お大事にお過ごし下さい。
台風の影響で昨日から雨が降り、レジャーにお出かけになられる計画を立てている皆さんは十分に気をつけてください。
新幹線の中で「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」という語を、勉強会での皆様の真摯なお顔を思い浮かべ、思いだしておりました。お経の始まりはすべて「如是我聞(にょぜがもん)」(私はこのように聞きました)という言葉で始まります。お経の中での私はお釈迦様に長くお仕え従っておられました「アーナンダ尊者」のことですが、私を私は「私に置き換えてお唱えします」。
教えを聞くときに大切なことは、自ら「聞こう」という姿勢で聞きませんと「聞こえてこない」「意味を感じてこない」からです。自分にはまだ、はっきりと受けとめられないけれど、「ここには大切なことが説かれている、という敬いの心をもって聞くことが、聞くことです」。それを「初発(しょはつ)の門」といいます。家に入るにも門から入らなければいけません、教えの世界に入るにも門があるのです。初心忘るべからず、初発の心を今でも大切にしています。
私はお師匠に弟子入りを許されたとき、お師匠様の教えの門に入らせていただいたとき、「聞かせていただこう、聞こう」という発心をしました。このような思いを重ねてお聞きして座を重ねてきたことで、「ああ、その通りだ、その通りだという、深い感動が訪れるようになったのです」。
先日も「疑いは愛を失う」ということを書きました。「大智度論」という龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)の著があります。その中に、「仏法の大海は、信をもって能入し、智をもって能度とす」とあります。「能入」の「能」とは「できる」という意味です。「度」はサンズイをつけた「渡る」と同じ意味です。
仏教という広大な教えを学ぶには、まず「信がなければ入れないけれども、その海を渡りきるのは智慧、すなわち目覚めによる」というのです。
信とは、信頼、尊敬の意味です。それは仏陀(目覚めた人)と呼ばれた釈尊の人格を敬う帰依の心を指しているのです。私の身近な世界では「お師匠様」です。
釈尊に帰依する理由は、釈尊が真実の道理(法)に目覚めた智慧のある人だからです。釈尊の指し示す道理の真実性が、「私たち自身の生活実践を通して現実とできる」からです。
私はこのことをお師匠様にお聞きし、最初は理解が出来ませんでしたが、信を頼りに、先ず、「理解できることを手がかりに今日でも実践しています」。そして少しずつ実感できるようになり、今日では信・不信も考えることなく、無心に歩むことを楽しんでいます。新幹線で改めて信のありがたさに歓びと幸せを感じながら乗っておりました。
皆様の真摯な学びの姿を拝見し、修業時代の自分を思い浮かべ楽しく帰ってきました。今日は休日、静かに一週間を振り返り連休明けに備えてみてはいかがでしょう。良い休日をお過ごし下さい。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌