知行合一

おはようございます。

9月、長月、今月も毎日お訪ねいただきありがとうございます。パソコンがあるからこそ書かせていただける、一番気をつけなければと思いますことは、パラドックスに陥らないこと、論語読み論語知らずにならないことに注意しております。
何か良いことや、いい話を皆様にご紹介したいと思い書き始めたのが最初です。50才のときからですので、もう20年毎日書かせていただいております。
良い言葉を書いているから、いい話を書かせていただいているから、「自分は出来ていると錯覚しないこと」と戒めています。私は知識することが苦手でしたので「まねぶ」「まねる」を第一としました。それは「学ぶ」は「まねる」から来たと教えられたからです。私でも出来そうだと思い行動への勇気をいただいたのです。
好きな言葉で「知行合一(ちこうごういつ)」があります。知行合一王陽明の教えです。知(知ること)と行(行うこと)は同じ心の良知(人間に先天的に備わっている善悪是非の判断能力)から発する作用であり、分離不可能であるとする考え。論語の為政第二にある「先ず其の言を行い、而して後にこれに従う」が元になっています。
王陽明は、知って行わないのは、未だ知らないことと同じであることを主張、知っている以上は必ず行いにあらわれると述べたのです。真の知行とは「好き色を好むが如く、悪臭を悪(にく)むが如し」と説きます。例えば、好きな色というものはそれを見た(知った)瞬間に好んでいるのであり、色を見て(知って)から好きになろうと判断するわけではないのです。
学校に行っているときには、知識を試験されて答案用紙に書くことが出来ませんでしたので、勉強(知識学)が大嫌いになったのです。
ところがお山に入り、「仏教学」「心学」の学びはすべて「実学」であることを知り、目の前が開かれました。自己確立を図る学が実学
目の前の好きなこと行い、嫌いなことを瞬時にして行わない、先日書きました、人の嫌がることといった如くです。
出来ることを言い、やったことを言うようにしています。また少し自分のことが出来たからと言って人様に偉そうに言ってはならいことも知っています。私は教えを信じてこれまで歩んでいます。だからこそ、あれもこれもと欲張らず、「一つ一つまね」てきました。積小為大(せきしょういだい。小を積みて大と為す。 何事も順というものがあり気に逸(はや)って速成を願ってはならないという戒め。 小は自らの身の丈にあったもの、平凡なものでありそれが集うことでやがて大なるものへとなるという二宮尊徳の教え。)を信じ実践しています。
「信」には「懺悔(さんげ)と、随喜(ずいき)と、祈願」の三つのすがたが現れてくると釈尊は説きます。
深くおのれを省みて、自分の罪と汚れを自覚し、懺悔する。他人の善いことを見るとわがことのように喜んでその人のために功徳を願う心が起きる。また教えと共に在ること、自他共に幸せになることを日々念じ、行ずる暮らしをするのが信です。信じたればこそ今があり同行の方も多く出来ました。
明日は10月の第一日曜日、心華寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」午前10時から厳修いたします。月初の第一歩を祈りからスタートしましょう。素晴らしい月末をお過ごし下さい。   
世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
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