新幹線の中で

おはようございます。

私はよく新幹線を利用させていただいています。JRのじぱんぐ倶楽部というありがたい倶楽部に入らせていただいており、乗車賃、特急券共に三割引で乗車させてもらっております。新幹線の利用回数が多い私にはありがたいサービスです。
下関・愛宕寺に行きますときは京都駅から新幹線自由席で新大阪まで、新大阪から九州新幹線「さくら号」で指定席に乗せていただいております。じぱんぐ倶楽部で利用できる列車はひかり、こだま、さくら号で、のぞみやみずほには乗車できません。ですから新大阪で乗り換えて九州へ行きます。
京都から新大阪、神戸講座から京都へ帰るときには自由席に乗らせていただきます。そこで、ふと気づいた風景を書いてみます。
自由席でご自分が座っている隣の席に平然と荷物を置いて休んでいる人を多く見受けるのです。荷物がありますので、そこに座ることができません。ですから混雑して立っている人も多く見かけます。
自由席ですから、どなたが横に席に来られるかわかりません、だからなのでしょうか?隣に座って欲しくないという意思表示なのでしょう?。(指定席でもどなたが隣に来られるのかはわからないので、同じなのですけどね?)
人生の旅路は「袖すり合うも多生(他生)の縁(人との縁はすべて単なる偶然ではなく、深い因縁によって起こるものだから、どんな出会いも大切にしなければならないという仏教的な教えに基づく教え。「多生」とは、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)を輪廻して何度も生まれ変わるという意味。)」と申します。
私に限らず、皆さんも良縁を得たい、素晴らしい出会いをと考えているはずです。私は出会いを大切にしています。出会いは自分の思考の外にあります。いくら良い出会いをと願っても、袖すり合う縁を自ら断つような出会いをしているようではいけません。
人生の大道は、例えれば「自由席のようなもの」です。家庭でも、公道でも、通勤電車でも会社内でも、どこでもフリー、自由です。そこで大事になるのは「公衆道徳」「相手を思う心」「尊敬する心」「お互い様の心」です。自由だから勝手気ままに振る舞うようではいけません、「自分で自分の誇りを傷つけている」のです。「旅の恥はかき捨て」ではよりいけません。
普段の姿勢、無意識の行動が生き様、人格を形作る、人格形成をしているのです。日々の繰り返し、習慣が人間性を作っているのです。
いくら、会社に行きお客様や上司の方に礼儀正しく振る舞おうとしたとしても「メッキははがれる」のです。電車に乗るために乗っている人はおられません、必ず「目的があって乗っている」のです。道路を歩いていても同じです。
気、オーラというものは、陰陽があります「陰気、陽気」です。陰は陽になり、陽は陰になります。陰とは「内なる心を指してます」。内なる心構えが皆さんの目にとまる「形・陽・気構えとなる」のです。
陽という形、臨席に荷物を置くような「陰・心を持っているようでは」仕事などおぼつかないと私は思うのです。自由だからこそ「公衆道徳」が大事ではないでしょうか?。気配りや、心配りが自由の世界でいかにできるかです。自由だからと、矜持(きようじ)を損なうようではいけません。
(矜持とは、その人の社会的・対外的「立場」を前提としたものです。「聖職者としての矜持を持つ」とか、「男(女)としての矜持というものがある」などの例が示すように、「××(=立場)としての矜持」、という形で使うのが原則です。その立場にある者としての「誇り」「妥協できない態度」「示すべき態度」などを指すのが「矜持」です)。
ふと、道を歩いていたり、電車に乗っているとき等々、「にんげん学」の大切さを感じて乗っています。非力な自分を恥じてもいます。「人の振り見て我が振り直せ」今日も誇りを持ち修養の一日を過ごしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
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