人にされて嫌なことをしない

おはようございます。

対人関係の指南書・人心掌握法「にんげん学」神戸講座「論語を読む」雨の中ご出席ありがとうございます。
論語、公冶長(こうやちょう)第5、12[子貢(しこう)曰く、我れ人の我れを加(しの)ぐことを欲せざる也。吾も亦(ま)た人を加(しの)ぐ無からんと欲す。子曰く、賜(し)や、爾(なんじ)の及ぶ所に非(あ)らざる也。」とあります。
私たちは人にされて嫌なこと、嬉しいことがあります。そこで弟子の子貢(しこう)がこうのように言ったのでしょう。
「子貢(しこう)が、私は自分が人からしかけられたくないと思うことは、それと同じ事を、私もまた人にしかけてゆくことのないようにと心がけております、と話した。(つまり己(おのれ)の欲(ほつ)せざるところを人に施(ほどこ)さないという恕(じよ)の気持ちを述(の)べたのです。これは恐(おそ)らく子貢(しこう)が他の門人達と対話でもしていたときのことであろうが)、それを聞いた孔子は、子貢(しこう)の名を呼びかけて、賜(し)よ、それは今のなんじにはちょっと出来そうにもないことである、と言った。」
これは子貢(しこう)の意気込みを挫(くじ)いたようにも聞こえますが、実は恕(じよ)は仁に至(いた)る大きな道であるところから、「そう容易(ようい)には出来ないぞ」と言って、「更(さら)に励(はげ)ました言葉」です。
顔淵(がんえん)・衛霊公(えいれいこう)には「己の欲せざる所これを人に施(ほどこ)すこと勿(なか)れ」とあります。この勿(なかれ)は禁止(きんし)を意味して「他からの強制」でもあります。
これに対して子貢(しこう)は、「無(な)からんことを欲(ほつ)す」と、無(む)の字を用いています。無(む)は勿(なかれ)と違い、「自然にその気分になり、その状態になること」、つまり努力を用いずに、自然に恕(じよ)の道を行うようでありたいという、極(きわ)めて高いところを願望した言葉であります。無意識に恕の行動が出来るようでありたいと子貢は願ったのです。
こう考えますと、孔子が、爾(なんじ)が及ぶ所に非(あら)ずと言ったのも、合点(がてん)が行くのではないでしょうか。
しかし、孔子は弟子達に自然体で行えるよう、「時習(じしゅう)、習ったこと学んだことを日々行うこと」を説いていることは言うまでもありません。また「性相近し、習い相遠し」と言った教えも、日々の習慣こそが大きな違いとなってくることを示唆している孔子の教えの眼目でもあります。
対人関係は自らの応対対応によって出会い以降が大きく変わります。知識以前に私たちは自分の身の処し方であります「人間経営」が大事です。人間経営学であるところの「にんげん学」をこれからもご一緒ください。人にされたらいやなことを人様にしないためにも、また「人の嫌がることをする人が少なくなるためにも」。そして人様に喜ばれる恕、仁愛とはなんぞやと体で知るためにも「にんげん学」を大事にしていただきたいと願っております。来月の神戸講座は10月19日(木)です。師友の皆さん来月もご一緒ください。ありがとうございます。今日も素敵な一日でありますよう。 

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