貢献

おはようございます。

比叡山で12年暮らし、下山し40年弱、心がけていることの一つ「社会に何で貢献するか」です。農家出身で無学だった豊臣秀吉は「草履取りで天下を手にする緒に就いた」のです。私も無学ですので何を端緒として貢献するかをいつも考えていました。もちろん今でも考えています。もちろん天下を手にするためではありませんが、ただただ社会貢献を考えています。
修業時代は、作務(さむ・掃除)に徹して貢献しようと無我無心にやっていました。知識とすることが苦手だった私は「作務ならできそうだ」と安易に思えたのです。これが難儀なことだとはつゆ知らず、四季折々の困難さ、種類の困難、上に立つ人の指示の困難、徹底的して鍛えられました。実践から鍛えられることを身にしみました。しかし作務というものは面白いもので、何故、この物がここに必要なのか、何故このような順番でなければならないのかが、体得できるのです。物事の存在意義が見えてくるのです。
そして何より面白いのが、物事をやってみよう、行動しようとすると知識の必要性を感じるのです。勉強、知識学が嫌いだった私ですが、作務、実践をするようになってから学ぶこと、知識学が好きになったのですから、不思議です。自分に必要性を感じると更に能動的になることを知ったのです。
企業研修に関わるようになってから、35年あまりになります。企業が企業として存続して行くにはいろいろな要素が必要ですが、いろいろな会社の理念を拝見しますと、やはり「社会貢献」が見えてきます。
私は比叡山では小僧しか経験していません、小僧とはいわゆる堂衆と言って、寺男でもあります。あらゆる雑用をこなす立場です。この立場からいろいろな修行僧を拝見してわかったことがあります。私の立場は永遠に小僧ですから、客観的に多くの修行僧の方を冷静に見ることが出来たのです。
何を見たかといいますと、頭角を現すお坊さんは「才能ではない」ということです。では何か?「習慣性」です。習慣的な姿勢、基本的な方法を身につけている人です。この二つは何も特別な知識や才能ではなく、誰でも「持っているもの」だということに気づかせてもらいました。
私はこのことに気づかせていただき、「早起き早寝」を習慣としました。そして「出来ることで貢献する」という基本的方法です。人より卓越した方法は無いかなどとウロウロしていないということです。
修行とは、「知識を体現すること」です。いくら掃除をするということを知識としてインプットしたとしても、「身体を通してアウトプットできなければ、話にもなりません」。社会貢献などおぼつかないのです。貢献とは「成果ともいえます」。
いろいろな会社の方のお話をお聞きして感じ取ったことがあります。成果を上げることとして必要なことは「時間管理」「貢献」「強み」「集中」「意志決定」だというのです。
上のことを聞いて、え、私は、このようなことはやってきたのではと思ったのです。朝はきっちり起きる、起きるために日中のことは確かにこなす。出来ることで貢献、条件状況は問わずにやるという強み、徹底するという集中、自分で自分の人生の方向は決めてやってきた等々です。
今夜は人生充実の必勝法・克己の学「にんげん学」大阪講座「老子を読む」です。人生すべからく己の身体を通して体現するのです。ご一緒に学びましょう。
今日も豊かな一日をお過ごし下さい。
明日はNPOこころのはな「子ども食堂」開店日です。午後4時から7時です。明日正午までご予約下さい。0774-45-5561までお願いします。小学生以下は無料。中学生以上保護者の方は300円ちょうだいいたします。お待ちしております。
   
世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
※どのようなことでもご相談下さい。電話:0774-44-5380。メールbonsan01@wao.or.jp