思い出したこと

おはようございます。

皆さんに笑われるかもしれません、お寿司やお肉が、こんなにも美味しいものかと感動したのは40才前。20代の食欲旺盛な時はお山で精進料理、精進料理と言っても、ご飯と漬け物、山菜、そんなしゃれた料理ではなく、食べられれば良いという感じ、お腹が空いていれば何でも美味いものです。
江戸時代初期、沢庵和尚が三代将軍家光公に最高に美味しい料理をご馳走すると招待、一日何も出さず、まだかまだかと家光公がイライラしていたところに、「たくわんと白粥」を供した、白粥を見た家光公は怒り心頭、しかしあまりにもお腹が空いていたので、それを食べた、家光公が一口食べたとたん「美味いと感嘆の声」?、と嘘のような真のような逸話。やはりお腹が空いていれば何でも美味いのです。
とはいっても、やはりお師匠様に供するお膳は調えなければいけません、それなりの料理をした思い出があります。お山から下山、信者さんから供されるお供養の食事をご馳走になり、いやはや、とんでもない失礼をお師匠様にしていたものだと、冷や汗がわいたことを思い出します。
料理でも何でも同じ事です、「これでいいはいかん」。やはり学ぶ、尋ねることが大事、自分でいくら工夫をしたとしても、限界がある。その限界を破るのはやはり愛情、思いやりからわき出る探究心、研究心、人様に教えを乞うという勇気、工夫。
そしてもう一つは人様から料理をまずいとして否定され、発憤するかのどちらかです。こう考えますと、大切なお師匠様への尊敬の念が足りなかったとお山から下りてしばらくして、信者さんにご馳走をおよばれしたときにしみじみと反省しました。
お師匠様はきっと辛抱して食べてくださり、弟子を育てて下されたのだと、改めて師の弟子に対する熱い恩を思い、涙したことを思い出しました。
一昨日はSさんMさんに早朝から皆様へ美味しいお供養を作っていただき、夕食はMさんが心を込めて作ってくだされたお供養をいただき感謝する法要の一日でした。そんな中、小僧時代を思い返し、一昨日の夜は一人苦笑いをしました。
人が生きていくということは「食べることだ」といいますが、食べることは本能ですから、本能を満足するためにはやはり、食に対する心が大事では無いでしょうか、何でもありでは人として恥ずべきことですので、食に対する態度はとても大切なことです。
昨今の人心の荒廃は食に対する姿勢があるのではないでしょうか?。食育という言葉もありますように、ただ食欲を充たすだけではいけません。おぎゃ〜と生まれてこの方、食に依ってこの身を保っています。心を養うと言っても過言では無いのです。
一昨日も信者さんと食事をいただくときの食前観に「我今幸いに、仏祖の加護と衆生の恩恵によって、この清き食を受く、慎みて食の来由を尋ねて味の濃淡を問わず、その功徳を念じて、品の多少を選ばじ。いただきます」。食後観「我今この清き食を終わりて、心豊かに力身に充つ、願わくはこの功徳を念じて四恩に報い奉らん。ごちそうさまでした。」。意味は皆さん考えてみてください。そしてご家族が見えるところに書き記し食前食後にお唱えください。じんわりと心にしみこんで来ることでしょう。人生観が変わるはずです。
今夜は「にんげん学」小倉講座、人生充実必勝の法・克己の学「老子を読む」です。一昨日の余韻があります、楽しく講座に向かいます。九州地区の皆さん会場でお目にかかれるのを楽しみにしています。自分の心を豊かに出来る学びほど楽しい学びはありません。人の為と、自分を偽るから学びを楽しめないのかも知れません。楽しみにまいります。
今日は食事に一層感謝し豊かな一日をお過ごしください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。
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☆下関・愛宕寺から夕方散歩して。からっと広場の観覧車と、消防署のアンテナとランドマーク海響夢タワー。