感謝の日々

おはようございます。

お陰様の日々、守られている日々、導かれる日々、日課のある日々、どうしようかな?どうすればいいのかな?などと茫然自失することの無い日々であることに感謝しています。
比叡のお山で修行、右も左もわからず、何一つ出来ない私が翌日から導かれてやることがあった、その不思議さありがたさを今思い知らされています。
叡山から下山し誰一人おまいりのない心華寺にお世話になるようになっても、お山での日課が身にしみていたお陰で、入山直後から迷うことの無い日々を過ごすことができたのです。日々の祈り、身を修める修養とは何とありがたいものなのだと、実感したときでした。
「歩々(ほほ)是れ道場」という語があります。道場と言えば普通に修行するお堂を指しますが、歩々(ほほ)是れ道場とは「必ずしも道場、建物を必要としない」という意味であります。これと同じような語に「直心是(じきしんこ)れ道場」があります。直心是れ道場の道場も本来の道場を指してはいるのですが、対象や場所云々を問わずに、正直、素直な心であれば、どこでも修養する場所である、歩いている日々の暮らしが道場であるという意味です。
私たちの人生は、会社を選ぶことは出来ます、事実私も比叡山修行後の実践の場に心華寺を選んだのです。選んだ場でどのような境遇が待っているかなどわからないのです。その場を道場とし磨き高めなければ今日の私はありません。
いくら机上で学んだとしても、実践の中で試行しなければ、その実力の程がわかろうはずはななく、力も発揮しようがないのです。
学びは現実社会で生かそうとして学んでいるわけですから、それが実践もしないうちに、固定観念、価値観として、自分の条件に合わなければ否定してしまうというようでは、どこに行ったとしても自分を発揮できないのです。
先日書きました、虚心坦懐(きょしんたんかい)、どこにあったとしても、そこが自分を磨く道場と心得、「虚心となって目の前から学ぶことで人生は大きく展開していくのです」。
私は今日まで、目の前の方々から学び、目の前の方々に応え、役立つべく自身を修養しています。そのように在ることが、私自身を生かしてくださる方が出てくるようになったのだと教えに感謝する日々です。先日書きました、適者生存。人間が悩む一つの原因は無い物ねだりをして苦しむことになるのです。人生は「こだま」、「反映される鏡」です、目の前の人が鏡、私が目の前の人の鏡、目の前の人を素直に映し出し、映し出されるように素直になる心、直心です。今日も寒いですが、寒いときには寒いときの修行、歩々是れ道場、直心是れ道場の思いで過ごします。皆様も素直な心で一日お過ごしください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。
※どのようなご相談でもどうぞ。0774-44-5380。メールbonsan01@wao.or.jp
☆心華寺で参籠修行をしてみませんか、非日常の空間に身を置き、作務(掃除)、読経、坐禅、写経、五官の対象をすべて聖典に置き、自身と対峙する。新たなあなたが見えてきます。
☆昨日のお昼、雲を撮ってみました。




NPOこころのはな「子ども食堂」67名のご来店をいただきました。平成30年度新春第1回目の開店は1月10日(水)です。一年ありがとうございます。お体大切に良いお年をお迎えください。来年もよろしくお願いいたします。
ボランティアの皆さん一年ありがとうございます。


食べ終えた子ども達は「紙芝居」大喜びです。Nさん、ありがとうございます。