手元にあるもの

おはようございます。

人間はおかしな生き物と言いますか、何か失わないと、大切な物が見えてこないのかもしれません。逆に言えば身近な物を大切にしていないのかもしれません。素晴らしい家に住んでいながら、良い家が無いかな〜と探し回るような人は決して豊かになれません。
今、暮らしている生活を大切に大事にしていないようでは、福の神は訪れず、貧乏神も寄ってはきません。愚痴と不満の悪鬼が寄ってくるだけです。貧富は一対です(だからいつからでも富者になり、貧者にもなる)。
貧しさに嘆いている人は決して福の神にチェンジ、バトンタッチしないのです。それは物を大切にしないからです。物を大切にしないというそれ以上に「心を大切にしていない」のです。
幸福とは「手元にあるすべてのものを慈しむこと」です。それは「今の自分を大切にし、今の自分を愛してくれる人をありがたく思い、今自分が愛する人を大事にする」。それが幸福を手にしているということです。
身近な人や物を大切に思う心を持てば、もっと「真剣に生きよう、生きなければと思えるようになるのです」。
自分が立っている身近な足下の世界を感謝できない人間は幸せを自ら捨て去っているのです。
私は、何もできない私を教え導いてくだされた、師と場に誠実にありたいと、信頼(人から信頼されるというのではなく、自分が人様を場を物を信頼する)を重んじ、何ごとも受け容れる度量を示すようにしてきました。であるならば公私を問わず積極性が生まれ、人生に良い影響を及ぼすと考えたからです。
人生、楽しく生きるには、自分を支えてくれる人たちを先ず大切にすることだと、最近一層思っています。
自分自身が周りを大切に出来る幸せを感じることが充実した人生を送ることとなるのです。如何思われますか皆さんは?。
脚下照顧(きゃっかしょうこ)、脚下照顧とは「他に、外に向かって不平や不満を言う前に、先ず自分の足下を大切にしなさい、自分のことを良く顧みなさい」ということです。
自分の立っている場所(家、会社、職場)を自分が大切に出来ないような人は世間様を大切に出来るはずも無いのです。今日も足下を大切にする一日を暮らします。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。
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☆昨日の朝の風景