無事を感謝

おはようございます。

平成29年、お陰様で一年無事に書くことが出来ました。無事是貴人(ぶじこれきじん)。
この一年間、たいした災難にも遭遇することなく、無事安泰に暮らせたという喜びと感謝の念を表わすと同時に、師走といわれるほど忙しい年の瀬であっても、決して足もとを乱すことなく、無事に正月を迎えられることにこの語を思い浮かべております。
しかし、私たちの「無事是れ貴人」の意は少し違います。無事とは、平穏無事の無事でもなく、また、何もせずにブラブラすることでもありません。無事とは、仏や悟り、道の完成を「他に求めない心」をいいます。覚りとは「何かを得ることでは無い」のです。
また貴人とは「貴族」の貴ではなく、貴ぶべき人、すなわち「仏」であり、「悟り」であり、「安心」であり、「道の完成を意味」します。
私たちの心の奥底には、生まれながらにして仏と寸分違わぬ純粋な人間性、仏になる資質ともいうべき仏性というものがあります。それを発見し、自分のものとすることが仏道の修行であり、悟りを得るということです。私たちは、えてしてそれを外に求めてウロウロするのが現実です。
「求心歇(ぐしんや)む処(ところ)、即ち無事」と、臨済禅師は喝破(かっぱ)しました。求める心があるうちは無事ではありません。「放てば手に満てり」という言葉がありますが、「求心歇む処」が無事であります。その無事が、そのまま貴い人です。何かを求めれば逆に悩むこととなるのです。「己を正して人に求めざれば怨無(うらみな)し」「己を正すのみ」です。求めれば、いつ得られるだろう、いつなんだろうと、悩みを更に深めることになるのです。
「但(た)だ造作(ぞうさ)すること莫(な)かれ、祇(た)だ是(こ)れ平常(ひょうじょう)なれ」と、臨済禅師は無事を詳解(しょうかい)します。「面倒くさい」「むずかしい」の反対語に「造作なく」という言葉があります。当然のこと、日々為すべき事を造作なく当然にやることが平常であり、無事というわけです。
いかなる境界に置かれようとも、見るがまま、聞くがまま、あるがままに、すべてを造作なく処置して行くことができる人が、「ポストにベストの人」「無事是れ貴人」というべきです。
今日の池ノ坊流の華道を創立した池坊専応(いけのぼうせんのう)は、あるとき、千利休の茶の師である武野紹鴎(たけのじょうおう)に依頼されて花を活けます。あまりの見事さに感心した紹鴎は質(ただ)します。
「あなたは、どんな心境でこの花をお活けになりましたか」
専応は答えます。
「いろいろの千草にまじる沢辺かな――という句を頭に描いて花を活けました」
沢辺に咲き乱れるさまざまの草花には、美しく見せたいとか、目立ちたいとかいうはからいは微塵もありません。ただ、無心に一生懸命に咲いているだけです。
専応も花活けに向かって上手に活けようと意識するわけでもなく、紹鴎を感心させようと小細工を弄(ろう)するわけでもありません。造作なく、すなおに、「いろいろの千草にまじる沢辺かな」の句を想い描いて、花を一本一本挿していっただけです。
専応もまた、無事底(ぶじてい)の一人であるのです。ポストにベスト、年末大晦日に当たり、一年を大いに自反させていただきましたこと皆様に感謝申しあげます。
一年大いなる反省を促し脱皮のきっかけを下さいました皆様に感謝して一年のお礼と致します。ありがとうございます。良いお年をお迎えください。
今夜午後11時30分より除夜祈願護摩、迎年護摩供を厳修し、新玉の神をお迎え致します。どうぞおまいりください、そしてご一緒に戊戌年をお迎えしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
※どのようなことでもご相談下さい。電話:0774-44-5380。メールbonsan01@wao.or.jp
※心華寺で一泊、プチ修行をして心身のリフレッシュをしませんか?いつでもお待ちしております。坐禅、読経、水行、写経、作務、食事作法、非日常体験で、新しい自分発見を。
☆90歳になられる信者のSさんが干支の置物と、鶴亀の水引。そしてお人形さんを奉納くださいました。Sさんありがとうございます。良い年を迎えられます。