お彼岸

おはようございます。

暑さ寒さも彼岸まで、今日から春のお彼岸です。この言葉は季節の用語でもありますが、彼岸という言葉は彼の岸ということですから、此岸、こちら側から彼の岸に至ることを指していることを意味しています。桜の開花も各地から寄せられてきました。季節は確かに巡ります。
今日は下関・愛宕寺「春季・彼岸会法要」午前10時から厳修いたします。休日でもありますご家族でおまいりください。
此岸というのは「迷いや苦しみの世界を指しています」。彼岸の一週間「ご先祖様へ感謝の祈り」とを捧げ、六波羅蜜の修養を行うことで「迷いや苦しみから脱する心境への到達、あれやこれやとウロウロしない心、覚悟を養う一週間」。ここから「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉が出ました。
人様へ温かく接することが出来るのも、冷たくなるのも自身の心模様。いくら豊かな人生を願ったとしても、人様に接する言動が貧しくては豊かになれる道理はないのです。
要するに、季節が変わるように「どのような困難な事態であっても、やがては終わりが来て乗り越えることができる。だから諦めずに耐えよということです」。そして利他、慈悲の心を養いなさいということです。
耐えよといっても、ただ耐えても豊かな人生とはなり得ません。ただの辛抱はできません。今の苦しみから脱却して豊かでイキイキと暮らせる人生を現実とするにはお彼岸には「六波羅蜜行を修しなさい」との教えです。
目標、的を作ったら、そこに達するための方法を確かにしなければ、此岸から彼岸へはわたれません。河を渡るに船が必要です、その船が「六波羅蜜行という船」です。
ただ闇雲に幸せになりたい、良い仕事に就きたい、幸せな一生を送りたいと考えても、「我の思い、我利我利で、独り善がりでは何ごとも得られず実現しません」。得られない以上に、「自分の思いは何であれ正しいので」、事が得られず、成りませんと、「自暴自棄に陥ることになるだけです」。
この世は何ごとも縁起、原因結果、因果応報が道理。道理にないことは悪果にせよ、善果にせよ、現実とはならないのです。ですから、結果を感じたら、それは善くも悪くも「自業自得」であることを自覚しない限り、豊かな人生は得られないのです。
「自分が不幸になれば周りを不幸に引きずり込む」。これほど不幸なことはないのです。不幸が連鎖します。
「自分が幸せであれば周りも幸せになり、幸せの連鎖となるのです」。
人生を豊かに過ごすには「感謝の先祖供養」が第一、とてもシンプルな行動です。ご先祖様は「土台だからです。土台が不安定では何も載せることはできないのです」これも「道理」。感謝できないから「不平不満の種を人に求め、いつまで経っても愚痴る人生」。最初の愚痴は誰でも聞いてくれるでしょう、何度ともなれば誰も聞く耳を持たなくなり、孤独感に苛(さいな)まれるという自業自得を招くのです。
六波羅蜜の第一、ご先祖様への布施波羅蜜が第一歩、そして自分で決めた事を守り続ける、持戒(じかい)波羅蜜が第二歩、何ごとの達成も辛抱が肝心、忍辱(にんにく)波羅蜜が第三歩、六波羅蜜の最初の三つ、これをお彼岸が終わってからも続けることです。
一週間六波羅蜜行を修しなさいということは、「ずっと続けなさいという意味です」。ここまで来ますと三つは身につきます。日々繰り返せるというということは「誠実さを身につける」ということです。教えに誠実ということができなければ、人様に誠実に対することは難しいのです。「誠実ということは見返りを願わないことです」。
見返りを願わないから「迷わない、不平不満とならない世界を生きる」ことなり、豊かになるのです。六波羅蜜を説く代表的なお経「般若心経(はんにゃしんぎょう)」の経文最後に説かれています文句「掲諦(ぎやてぃ) 掲諦 波羅掲諦(はらぎやてぃ) 波羅僧掲諦(はらそうぎやてぃ) 菩提(ぼうじ) 薩婆訶(そわか) 般若心経」。この意は「行こう 行こう 素晴らしい世界へ 皆で行こう さぁ一緒に行こう 悟りの世界、束縛のない世界へ行こう」という意味です。
悩み苦しむのは教えに誠実、忠実でなく、我欲・私欲であることを覚りましょう。その誠実さが先ずご先祖様に対する誠実です。この世は諸行無常、「明日ありと思う心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」とは親鸞聖人のお歌ですが、移り変わる表面の出来事に我利で目と心をくらませないために、先ず誠実さをご先祖様に対する事です。
我利で世の中を見ていけば真実の世の中が見えてこなくなるのです。私たちが暮らしている世界は狭いものです。我利で暮らせば、ますます世界が狭くなり、世の中が見えなくなり、損得、大小、上下という相対的価値観に心を奪われ何も見えなくなり、人生も仕事も虚しくするのです。ビジネスマンの方、経営者の方は感謝をよくよく忘れてはいけません。朝の一日のスタートでの数分、ご先祖様へ手を合わせるという行為を出来ないようでは、誰に対しても感謝の行動はできないのです。
ご先祖様は無限の可能性という「性命をもたらして下されました」。現実の欲得に惑わされない彼岸の道を日々楽しく歩みましょう、さあ、行こう、さぁ行きましょう。誠実の船に乗り、人生を豊かに過ごしましょう。
「私たちの暮らしは何かを得るためという価値観で生きるのであれば、それは苦悩しか生まれません」、それは「地獄であり貪る餓鬼道です」。自然界は共存共栄です。与えてこその性命の営みがこの宇宙なのです。周りを観ればすぐわかることで、春は夏のため、夏は秋のため、秋は冬のため、冬は春のため、循環こそが性命なのです。このように観察すると容易に理解できます。我利では滅亡しかないのです。そこで六波羅蜜の第一、「布施波羅蜜が重要なのです」。「互いに布施し合う繰り返しの中にこそ真の悦びがあることに目覚めるのが彼岸」でもあるのです。それこそが子々孫々の豊かな暮らしなのです。
午前10時お待ちしております。人生誠実が一番、教えに身も心を捨てることが誠実なのです。素晴らしい彼岸の入りをお過ごしてください。日曜日ですご家族でおまいりください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。 合掌
※どのようなご相談でも承ります。0774-44-5380。メールbonsan01@wao.or.jp。相談することの勇気が未来の扉を開けます。
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